昼寝ネコの雑記帳

カテゴリ:心の中のできごと( 439 )

もう遅すぎるかもしれないが、何かが目覚めている


Bill Evans - The Peacocks


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 改めてキース・ジャレットと聴き比べてみたが、やはりビル・エヴァンスの演奏の方が私にとっては、違和感がないようだ。

 ニュージーランド人の知人が、英語で作成した村上春樹論を、学会での初めての発表のため、苦労して日本語に翻訳した。その日本文を本格的に推敲する手伝いを始めたのだが、何度繰り返して読んでも意味が把握できない箇所がある。思いあまって、原文の英文原稿をメールに添付して送るよう依頼した。

 届いた英文を読んでみた。100%理解できたわけではないが、意外なことにかなり大意を把握できることに驚いた。試しに、相当以前に試して歯が立たなかった、TOEFLの穴埋め問題にチャレンジしてみたところ、全問正解とはいかないものの、結構手応えを感じた。とくに集中して英語を勉強しているわけではない。脳内で眠っていた何かが、目覚め始めたのだろうか。

 今日はやりかけの仕事を保留し、アメリカのテレビドラマTwenty-Four・24のシリーズ3を21話から最後の24話まで観た。ロス・アンゼルスのホテルに細菌兵器が散布され、多くの死者が出たという設定なので、興味も手伝った。カウンター・テロ・ユニットの職員にも死者が出て、ジャック・バウアーが必死でウィルスの拡散を防止する。

 対テロリストのリアルな戦いを疑似体験しながら、その命がけの仕事ぶりを観ているうちに、自分の中で何かが覚醒するのを感じた。ある種の闘争心のようだ。内面から突き動かされるような動機を実感した。具体性は何もないのだが、理不尽なことに屈しない、正義感のようなものなのかもしれない。

 改めて自分の年齢を考えてみた。十の位を四捨五入すると百歳である。一の位を四捨五入しても、70歳である。気持ちは高揚しても、この年齢から、一体何ができるというのだろうか。

 そのとき、ふと世界の政治指導者の名前が浮かび、調べてみた。

・ドナルド・トランプ米大統領 1946年生まれで今年72歳
・ウラジーミル・プーチン露大統領 1952年生まれで今年66歳
・アンゲラ・メルケル独首相 1954念生まれで今年63歳
・安倍晋三日本総理 1954年生まれで今年63歳
・小池百合子東京都知事 1952年生まれで今年64歳

 なんだ、十の位を四捨五入すれば、みんな百歳ではないか。実年齢だって、私とそんなには変わらないようだ。では、私にだってまだまだ新しい領域に挑戦する資格がありそうだ、と勇気づけられた。

 一方で、このような例もある。

 フランス大統領選挙に勝利した、エマニュエル・マクロン氏(39歳)が国内で大人気だ。穏健派で知的な政治家である彼の妻は、25歳年上で64歳の超熟女。しかも中学時代の恩師だというのである・・・(Wikipedia)

 もし私がこれから結婚するとして、25歳年上の女性だと90歳以上ではないか。いくらなんでも、いきなり老老介護になってしまいそうだ。それはともかく、中学生のときから30歳代の教師を想い続けて結婚したとなると、映画にでもなりそうではないか。

 本当に不思議なのだが、遅延案件に加え、処理案件が次々と増えてしまい、それなりの英語力も必要になっている状況なので、相当プレッシャーを感じている。重圧感からなかなか解放されないでいる。しかしどういうわけか、何かが目覚めつつあるという実感が、確かにある。

 決して楽ではないが、現状をしっかり受け止めて、前傾姿勢を崩さないまま半歩ずつでも前進しようという気力が出てきている。これは、喜ぶべきことだと思う。まだまだ到達点が明確には見えないが、迷わず、ためらわずに進んでいきたいと思っている。


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by hirune-neko | 2017-05-28 01:09 | 心の中のできごと | Comments(0)

母の一周忌に寄せて


OSCAR BENAVIDEZ..REMEMBRANCE : ASTOR PIAZZOLLA


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 北国の友より届きし花かごの
 香り漂い佳き日を想う

 今日の母の一周忌を前に、昨日は母の従妹から花かごが届いた。母の従妹といっても、私の2歳上で同年代だ。最後は札幌の国立病院付属看護学校の副校長で退職し、療養生活を送っている。超キツイ性格が印象に残っているので、花を送る感性があったことに驚いている。

 今日の午後、花屋さんから花かごが届いた。白を基調に、アクセントで薄紫の花を何本かあしらった、なかなかセンスのいいアレンジだった。かつては、寝ずの番をしてくれたブロンズの「猫の給仕役」をどかして、骨箱の横に花かごを置いた。

 すると母の声なき声が聞こえた。連名で送ってくれた二人に、返礼で歌を詠んだので、伝えてほしいという。

 北国の友より届きし花かごの 
 香り漂い佳き日を想う

 この世を去って1年経った今でも、自分のことを忘れずにいてくれて嬉しかったらしい。生前は私のことをいつも「親不孝息子」と呼んでいたが、死して後、納骨もせず2階の奥の部屋に放置したまま、朝晩の挨拶もしに来ない・・・まさかここまで徹底した親不孝息子だとは思わなかった・・・という嘆きも聞こえる。甘受している。

 死して安息に入る、という言葉がある。激動の人生を生き、艱難辛苦が累積する人にとっては、死は唯一の安らぎなのではないだろうか。私は幸いにして、この世を去って安らぎたいと思うほどの激務をこなしていない。使命感だけでなく、楽しみもある。まだまだ責務を果たしていない道半ばの状況なので、集中力が途切れないよう・・・飽和状態になると、好きな映画を観て張り詰めた神経を弛緩させている。

 シーズン3の途中で中断していた24(Twenty Four)というテレビドラマを、久しぶりに観ている。次の展開が気になって、どうしても止まらなくなってしまう。でも、今日はここまでにしておこう。

 昨年の5月20日のブログを読み返してみた。喪主なのに、弔問客に配るための、母になりすました写真入りメッセージ文を作成していた。改めて、ブログがすっかり日記化していると認識した。10年も続けていれば、膨大な文字量になっている。

 自分の人生の足跡を振り返ることのできる、貴重な記録だと思う。


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by hirune-neko | 2017-05-21 00:17 | 心の中のできごと | Comments(0)

金沢や能登に対して不思議な郷愁を感じる


Guitar Duo KM - Oblivion, A. Piazzolla


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 今日、能登にお住まいの方と何度かメールのやり取りをするうちに、遠く過ぎ去った懐かしい会話が甦ってきた。

 明後日、一周忌を迎える亡き母は、異常と思えるほど草花を愛でた人間だった。その母は、一度金沢の兼六園に行ってみたいと、口癖のように言っていた。

 学生の頃、福井県の鯖江までは何度か行ったことがある。長野から新潟、そして富山へは三男家族が住んでいた頃、2度ほど行ったことがある。しかし、金沢と能登には1度も行ったことがない。

 かつて、すでに故人となっている自称将棋気違いの80歳代の方と、毎月車で厚木の将棋教室に通った時期がある。片道1時間ほどの車中、少しずつ心を開き、お互いの過ぎ去りし日々について語るようになった。ある日、帰りの車中で彼は最近見た映画だが、と言って話し始めた。

 映画のタイトルは「駅路」で、原作は松本清張だ。35年間勤めた銀行を定年退職した男性が、ある日家を出たまま帰らず、家族が捜索願を出すという設定だ。広島支店長時代に知り合った女性と、時々密会を重ねていた場所が、私の記憶に間違いがなければ金沢周辺だったように思う。ゴーギャンの画が好きだった主人公の話を、まるで自分のことのように重ね合わせ、懐かしそうに語り続けた。ゴーギャンが晩年を過ごしたタヒチに、自分も行ってみたい、と彼は言った。

 私にとっては、金沢も能登もまだ見ぬ土地である。しかし、街並みやそこに住む人たちの心情に、陰影を感じている。いつか一度行ってみたいと思っている。

 生きていれば、誰でも毎日視野に入る目の前のことに追われる。必死にそして真剣に生き続けて、やがて人生の大きな分岐点を迎えたとき、それまでの延長線上に未来を見る人もいるだろうし、場合によっては大きく方向転換を考える人もいるだろう。現実の中にあっても、目に見えない心の中の世界に視線を移す時間があれば、自分自身をもう少し客観的に見ることができるのではないだろうか。

 私自身、時々飽和状態を感じることがある。それは能力の限界だったり、消化しきれないストレスのこともある。そんな時は、生きる方向感覚を失ったかのような、不安を覚える。現実と非現実の世界をバランスよく視野に入れ、思索する余裕を持てる人生を生きたいと思う。

 私はおそらく、年齢の割にはIT機器を使いこなしている方なのではないだろうか。今日、iPad Proで使い始めた新しい機能を、iPadでも使いたかったが操作方法がわからず、アップルのサポートセンターに電話した。電話に出た方が対応できず、技術担当の方に代わってもらった。口頭で説明をしたところ、よくわからないので画面共有したいと言われた。画面を共有してもらい、目的のアイコンを示した。そうすると、これは初めて見る機能だと言われた。正直言って驚いた。少し時間を置いて調べてくれたので、どのように操作をすれば使えるようになるかはちゃんと教えてもらえた。

 機能が低下する一方の私とは反比例して、どんどん思いもよらなかった新しい機能が追加されるIT機器には、とても助けられている。まさか、脳内に人工頭脳チップを埋め込むような時代は来ないと思うが、もし実現したら真っ先にお願いしたいと思っている。

 世界の主要7カ国語完全マスターチップ・ 36 GBで、手術代込み30万円、のような広告を実際に目にする日が来るかもしれない。もうしばらくは、それを楽しみに生きていたいと思う。


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by hirune-neko | 2017-05-18 22:45 | 心の中のできごと | Comments(0)

珍しく外出時間の長い一日だった


Save Your Love for Me - Eliana Elias


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 今日は都心のほぼ同じ場所を、車で2往復した。延べで約8時間の外出だった。私にしては長時間の外出だったため、帰ってきてから椅子に座り、少しうたた寝をしたようだ。

 昨日資料を送った、ある産婦人科医会の事務局から電話があった。ファックスで送信した文章を、PDFにしてメールに添付送信してほしいという依頼だった。もともとPDF化しているので、すぐに対応して外出した。
 すると、目的地近くを歩いていたら会社から電話があり、産婦人科医会の事務局から電話があったと知らされた。折り返し電話をすると、資料を会長に見せたいのだが、項目の順番を変更してほしいと言われた。内容をかなり読み込んで、興味を示してくれていることがよくわかった。それはとても嬉しい反応だ。
 電話を下さったのは女性の方で、私の勘ではどこかの産婦人科病院かクリニックで師長をされていた方だと思う。直接患者さんに接する立場の方には、私たちが作っている絵本の価値をよく理解していただけるはずだ。

 打ち合わせ中は携帯の電源を切っていたが、オンにすると着信履歴があった。連絡をとると、いろいろお世話になっている方だった。ここ数日のブログ記事を読まれて、ある地域の産婦人科医会につながる人を紹介してくれる、というお話だった。とても有難いことだ。

 北海道、東北、関東、関西などの産婦人科クリニックを訪ね、一生懸命に営業した時期がある。その後、新規開業される院長先生に焦点を絞り、営業コンタクトをした時期がある。乏しい経験ではあるが、新規開業の先生の方が興味を持って説明を聞いてくれたと思う。

 周囲には、ウェブマーケティングをよく研究し、FacebookやTwitterを活用して顧客を広げる手法を提案してくれる人もいる。しかし、商品の特性と機能、それと将来を見越した構想を展望して、焦らずにじっくりと理解者を探す方向を選択することにしている。

 今日は、ボランティアで手伝っている、あるプロジェクトの中心人物と会う機会があった。とても優秀・有能な方で、立派な経歴の持ち主でもある。私は、側面あるいは背面からの、いわゆる後方支援部隊としての立場で関わっている。
 その方の口から、弱気な言葉がもれた。どうやら、私が思っていたよりは、はるかに健康状態が良くないようで、最悪の事態を覚悟しているような口ぶりだった。文字通り、身命を賭して使命感に生きている。ふと、余命3年時事日記の初代・かず先生と二重写しになった。彼は、「その時は、後を頼みます」という言葉を残し、地下鉄の駅に向かった。私はしばし、その後ろ姿を無言で見送った。「いえいえ、私は裏方専門ですから」という私の言葉は、軽すぎたかもしれないと後悔している。

 これまでの半世紀近く、私は比較的異文化の人達と接する機会が多かったように思う。最も多く接したのは、アメリカ人だった。色々な職業、経歴、立場の人たちと話す機会を多くいただいたと思っている。その結果、その場の空気を読んだり、相手がどのように受け止めるかを気にしたりせず、あくまでも自分の考えを持ち、それをストレートに主張することが重要だと確信するに至った。

 海外に行かなくなってから、かなりの年数が経過している。しかし不思議なことに、色々な外国語に対する興味は尽きず、特に英語で自己主張し意見を交換する場面が、まるで既視感のように思い浮かぶことが多くなっている。あれこれいくつもの外国語を趣味的に食い散らかすのではなく、英語の表現能力を深く身に付け、ディベートできるレベルにすべきだという促しを感じるようになっている。実に不思議なことだ。

 自分の年齢を考えると、北海道や九州・沖縄に行くのがせいぜいであり、これからの人生でアメリカやヨーロッパに、頻繁に訪れるなどという事は想像すらできない。作家が本業になって、取材旅行が必要になれば、それはまた別の次元の話である。単なる予感だが、ここ日本にいても外国人とのディスカッションを英語で行う機会が増えそうな気がしている。何の根拠もない馬鹿げた話ではあるが、私はずっと自分の勘を大事に生きてきているので、英語を勉強する時間は確保したいと思っている。

 数日前、外資系企業を辞め、アメリカの大学のMBAへ留学しようと考えている男性と話をした。もともと、アメリカの大学を卒業しているが、再度留学をしたいと言った。その時、試験内容を尋ねたら、GMATとTOEICだと言った。既に高得点の実力があるようなので、自信はありそうだった。滞在費や授業料について心配したが、それもちゃんと蓄えがあると言う。立派なものだ。奥さんと3歳近くの女の子の3人家族だ。年齢は、我が家の三男とほぼ同じで、三男とは旧知の間柄だそうだ。無事に卒業して日本に帰ってきたら、その時は顧問料を払うからわが社の相談に乗ってよ、と言うと嬉しそうに笑った。

 幸いなことに、私の周りにはガッツのある人たちが多い。とても良い刺激になっている。子供たちもそれぞれの分野で、開拓者精神旺盛にチャレンジしている。

 人生の終焉を覚悟した旧友の言葉と表情が、今でも脳裏に焼きついている。私とて、長年健康診断をしていないので、どのような健康状態なのか皆目わからない。しかし、人間というのは最後の最後まで前傾姿勢を崩さずに、歩き続けることができたら、佳き人生だったと賞賛されていいのではないだろうか。

 私にはまだまだやり残していることがあるので、悪あがきしてもう少し生き続ける責務がある。徐々に加速度をつけ、第一線を離脱する時を、早く迎えたいと楽しみにしている。


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by hirune-neko | 2017-05-18 01:37 | 心の中のできごと | Comments(0)

朝食と昼食を抜いたら、ひどく消耗してしまった


Astor Piazzolla - Largo tangabile (6 - CD1)


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 健康のため、たまには断食しようと思って朝食を抜いて外出し、ある集会に参加した。集会では約40分のお話を担当した。話し終えるとすぐに、旧知の女性が一人の女性を連れてきて、紹介したいと言う。

 早口だったので、断片的な会話になってしまったが、英国の大学で人権に関する博士号を取っている方だそうだ。共謀罪の危険性について講演会を開くので、興味があったら参加しないか、というお誘いだった。とっさに、共謀罪はいけないんですか?と尋ねた。すると、それは自分で決めてください、という答えが返ってきた。それはそうだろう。

 講演会に来てくれれば、そこでいろいろお話しできます、と言われた。ごく短時間の会話だった。

 昼食も抜いて、午後から何人かの方とお話をした。神経が高揚していたせいか疲労は感じなかった。夕方少し前に帰宅して椅子に座ると、どっと疲れが襲ってきた。

 疲れた頭で、講演会のチラシを手に取り、インターネットで検索してみた。その結果、以下のサイトを見つけることができた。

「国際社会から見た 日本の表現の自由とメディア、 そして共謀罪」開催!
https://himikana.wordpress.com/

 立ち話をさせていただいたのは、この講演会の話者の方だった。主催:ストップ!秘密保護法かながわ、となっていた。このような主張の方と、直接対面して話をしたのは初めてだ。その講演会に出席し、話の後の質疑応答で私があれこれ質問すると、まず間違いなく浮き上がってしまうだろうと思う。せっかく盛り上がった会場の雰囲気に、完全に水を差すことになると思うので、遠慮しておいた方が良いだろうと思う。大体、公開の場でこのようなテーマで議論をするのは趣旨に反することになる。私は、あくまでも裏方の人間であり、人前で声高に論ずることは避けるようにしている。

 相変わらず、遅延案件になかなか手をつけられず苦しんでいる。でも、避けては通れない関門なので、何とか作業を終了したいと思っている。


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by hirune-neko | 2017-05-15 01:21 | 心の中のできごと | Comments(0)

リアルな夢と、夢の中のような現実


Obsessão/Não Me Diga Adeus/Pois E/A Flor E O Espinho - Maria Creuza


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 意識が混濁する、という表現がある。死線をさまよって、この世と霊界との境界線を行ったり来たりしているような状態なのだろうか。

 久しく、とてもリアルな夢を見ていなかったが、最近立て続けに見るようになっている。とても現実的で、具体的な会話はするし周りの情景もしっかりしている。目が覚めて初めて、あぁ夢だったんだと思うぐらいだ。

 今日の夕方前、段取りを組んで1つずつ仕事を片付けていたのだが、突然どういうわけか産婦人科医会に電話をするようにという促しを、心に感じた。何も理論的な根拠があるわけではなく、数週間前にインターネットで検索して閲覧していただけた。

 そこが私の単細胞なところで、ためらわず電話番号を探し当てて電話した。ある県の産婦人科医会である。全国の産婦人科に対して全面営業を開始するには、まだ態勢が整っていない。準備を進めながら、どのような方法でアクセスすればいいか、考えてはいる。しかしどういうわけか、突然産婦人科医会に電話するようにと言う思いが強くなってしまった。

 何を話し、何を依頼するかの準備も全くなしに電話をかけた。相手は女性だった。ほんの少し躊躇しながらも、こちらの自己紹介とお願いしたい案件を伝えた。すると、口頭ではなく資料を送ってほしいと言われた。メールで良いかどうか尋ねたら、誰かに相談したらしく、ファックスで送ってくれと言う。そう言われた以上、従うしかない。

 最終的に、約6時間半かけてA4判で5ページの資料を作成した。普段あまり使ってはいないが、eFaxといって、作成した文章をPDFに変換し、それを添付で送る形でメール送信すると、相手のファックス機に着信する。

 わき目もふらずも6時間半だったので、さすがにくたびれてしまった。現実に作業をしていたのだが、まるで現実世界から切り離されて、別世界にこもって過ごしていたような気分だ。

 今日送ったファックスを読まれた会長さんが、一度話を聞くから事務所に来るように、と言ってくれれば大きな前進である。そこには100カ所以上の産婦人科医療機関が会員として登録されているようだ。会長さんが、推薦や紹介をしてくれれば、その結果はともかくとして、他の都道府県の産婦人科医会に対してもアプローチできる実績になる。

 仕事なんて、全て計算通りにことが運ぶわけがない。とにかく、絶えずベクトルを前方に向けてひたすら前進するしかない。どこかで、堰を切ったように流出してくれることを願っている。

 私は自分に、予知能力があるなどとは思っていない。しかし、不思議なことに既視感のようなものを感じることが多い。先が見えるとか、結末が見えるとか、若い男女を見てもどのような老人になるか、その表情が見えるような気がする。

 何事も先が見えてしまうなんて、ある意味では、味も素っ気もないつまらない人生かもしれない。しかし、よくよく考えるとそうでもない。まさかそんなことが実現するわけがない、と思われるようなことでも想像力を逞しくして、かなりリアルに想像・妄想することができる。そうだ。想像力・妄想力・空想力だけはそんなに衰えていないような気がする。

 創作活動には、その想像力・妄想力・空想力は不可欠だ。それらの力を結集して、今未来の韓国情勢を透視してみた。

 どう想像しても、バラ色の光が射す気配が感じられない。いくつものブログを閲覧していると、決して楽観的な方向性が見えてこない。

 文在寅新大統領は、もともと北朝鮮に太いパイプがあるようだ。窮地に陥っている金正恩最高指導者とは、感情的に一蓮托生の覚悟なのかもしれない。距離を置いて眺めているだけの部外者だが、どうも韓国の政治指導者は感情論や情実論で、しかも国民の人情論に強い影響を受けてしまう傾向があるようだ。

 就任して間もない大統領ではあるが、あまりにも極端な方向に舵を取り、急激な方向転換をするならば、危機感を抱く人たちも現れるはずだ。すでに、韓国の財閥を解体するという意向を示していると聞いている。南北朝鮮のいずれにも、国家元首を見放した軍部によるクーデター、あるいは国の前途を危機的な状況に陥れたことに対する憤怒の感情から、暗殺などのテロ行為に走る人が現れるかもしれない。関係当事国を混乱に陥れるため、無差別テロ事件を起こすかもしれない。それぐらいの緊迫感を感じる。

 もう数十年前のことだが、当時居候をしていた男性を、一緒にアメリカに連れて行くことになった。ユナイテッド航空のソウル経由便だと安かったので、成田からソウルに向かい、そこからアメリカに発つ予定だった。ところが、何が起きたのかは知らないが飛行機が出発せず、ホテルを用意されて一泊することになった。あの当時の私は、韓国に対する警戒心も忌避感も何もなかった。用意された観光ツアーに参加し、韓国料理店で無料の夕食をいただいた。旅行ブックを片手に「イッスムニダ」(美味しい)などと、無邪気に韓国語を話した。

 正確には、あれから少なくとも30年以上が経過している。居候していた男性はその後、千葉大の医学部を卒業し、現在は北海道のある病院の院長をしている。隔世の感がある。

 南北朝鮮情勢。それに絡む中国やロシア、そしてアメリカの出方。日本の現在は、憲法改正や共謀罪などの議論の真っ最中だ。そんな緊迫した情勢には関係なく、昨日紹介したように、日本には黄砂やPM2.5が飛来している。なんと生きるのが大変な時代だろうか。

 いろいろな人がいろいろな予測を立てるが、どこかが戦争状態になれば、予測が当たったとか外れたとか、そんな議論は吹き飛んでしまう。現実的に、様々な緊急事態に直面することになる。それが夢であれば、じきに目が覚めるのでどっと疲れる程度で終わる。しかし、実際に東アジアで武力衝突が発生し、日本もそこに巻き込まれるならば、これは本当に現実的な問題になる。

 どんな状況になるかを正確に言い当てることは困難だ。しかし、何度も繰り返すように、少なくとも食料品と飲料水は不可欠であろう。さらには通信機器も不可欠だと思う。通信機能を維持するためには電源も必要である。一体どれぐらいの期間、自給自足体制を継続できればいいのか、それは誰にもわからないと思う。しかし、あれこれ備えていて良かったと思える状況になるか、あるいは、人の助言を聞いてちゃんと備えていればよかった、と後悔することになるかのどちらかだ。そのいずれを選択するかは、今この瞬間の私たちにできることだ。今からでも決して遅くはない。

 少しでも必要な物資をリストアップして、備蓄しておくことが重要なのではないだろうか。他人事のように、高見の見物でいられるほど、事態は楽観的ではないように思える。


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by hirune-neko | 2017-05-13 00:40 | 心の中のできごと | Comments(0)

生まれて初めて、中国語学習を体験した


Julia Zenko Chiquilín de Bachín


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 かつて大空を自由に飛翔していた鳥が、今ではすっかり老いてしまい、大きな幹の中に作った巣に閉じこもってばかりの日々を送っている。少し目がかすみ、方向感覚も鈍っているように思えたが、ある日、何を思ったか昔のように大空を羽ばたけると思ってしまった。

 老いた鳥は巣から出ると、そっと枝沿いに進み出た。試しに羽を拡げ、バタバタと動かしてみた。掴んでいた枝から足を離し、空中に飛び立とうとした瞬間、飛び方が記憶の彼方に消え失せてしまっているのを自覚した。愕然として身動きできなくなってしまった。自分の中枢機能が失われている・・・一瞬、記憶喪失者になり、現実感を失ってしまった。

 それが今日の私の姿だった。

 中国語会話教室の開講初日の案内を受け取り、どういう訳か試しに行ってみようと思った。いつか中国に行ってみたいと思っているわけではないし、将来、中国語を必要とすることがあるという予感もない。せっかくのお誘いだし、好奇心も手伝って足を運んだ。

 約90分の授業だった。講師は中国人女性で、標準語である北京語を教えてもらった。簡体字は初めて目にするので、まったく読めなかった。日本語でいうところの読み仮名には、どういう訳かローマ字が使われるらしい。初めて耳にする中国語独特の発音とアクセントに神経を集中した。

 模擬レッスンで、実際に中国語で自己紹介、他己紹介をさせられたが、頭の中が真空状態になってしまった。見馴れない文字聞き慣れない発音。自分の吸収力が大幅に退化していることに愕然とした。

 かなり時間が経った頃、もう一人の中国人女性が参加した。高校から日本に留学し、日本の大学を卒業しているというだけあって、とても流暢な日本語を話す。質問を受けてくれたので訊いてみた。

 「日本やアメリカでは、意見を自由に述べることができるが、中国では政府が検閲を行っていると聞いている。大多数の一般国民は、そのことをどのように捉えているのか」

 すると即座に、その日本に留学していた女性が、私の質問を遮るように言った。

 「その質問は、授業の内容とは直接関係がありません」

 ふーん、なるほど。そういう対応をするのか、と思った。私にはこれまで、中国人と接触を持った経験がない。従って、平均的な中国人が、自国をどのように評価しているのかを知りたかった。ずいぶん以前だが、アメリカ行きの飛行機で隣に座った韓国人に、政府の国家運営の手法が正しいと思うか、と質問したことがある。するとその女性は一瞬、「Yes」と言ったきり、怯えたような硬い表情になってしまったのを、今でも憶えてる。

 この中国人女性は、中国の情報機関に所属する人物かもしれないし、そうではないかもしれない。逆に私が、中国共産党政府当局の意向を受け、日本に滞在する中国人の思想調査を行っている人間だと警戒し、話題をそらしたのかもしれない。

 お互いに腹の探り合いになったのかも知れないが、ある意味ではそれぐらいの警戒心があってもいいのではないだろうか。 私は比較的、何気ない会話から、その人物の背景を探り出す嗅覚を持っている方だと思っている。そのせいか、必要以上に個人的な人間関係を増やす気にはなれない。本質的に、警戒心が強いのかもしれない。

 自分で勝手気ままに人物像を創り上げ、創作の世界に浸りきっている方が、遙かに居心地がいい。おそらく、雑踏には出て行かず、ひっそりと静かな部屋にこもって、売れるか売れないか知れない短編作品を書いているのが、最も性分に合っているのだと、今さらながら自覚している。
 
 負け惜しみを言うようだが、フランス語かスペイン語、あるいはイタリア語かドイツ語だったら、ずっとましな対応ができたという自信はある。ヘブライ語もロシア語も、さらにはアラビア語も、今では視野の外に追いやっているが、どういう訳か不思議と語学に対する関心度は高い。自由な時間に乏しいのが、つくづく残念で仕方がない。

 でも、いつまでも好奇心旺盛でいたいと思うし、どれだけ老化しても、仮想空間では自由に飛翔できると思い込んで、妄想世界を大事にしたいと思う。

 途中で、コップを倒してしまい、キーボードが使用不能になってしまった。このキーボードは、かなり以前、やはりコップの水を被ってしまい、使用不能になっていたものだが、捨てずに取っておいた。なんとか代役を務めてくれて、有難く思っている。


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by hirune-neko | 2017-05-11 02:35 | 心の中のできごと | Comments(0)

あっという間にゴールデンウィークが過ぎ去った


"DESPERTAR" - Astor Piazzolla


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 さっぱり実感のなかったゴールデンウィークが、今日で終わった。夢のような話だが、いつか2週間ほどの日程で、取材旅行に行ってみたいと思う。今のところは、映画で観る海外の街並しか実感がない。雑踏の音や人々のざわめき、耳に入ってくるいろいろな言語、人々の表情。それらをゆっくり味わいながら、人物像が自然に浮かび上がってくるのは、とても刺激的て充実した瞬間だ。

 ごく最近知り合った中国人女性のご両親が、明日、日本にいらっしゃるそうだ。直接お会いすることになるかどうかわからないが、5種類ほどのあいさつ文を翻訳ソフトで翻訳してみた。さらには、Googleの翻訳機能にその文章を入れて耳から聞いてみた。これまで、中国語を習った事は一度もない。Googleの音声を真似てみたかったが、全く歯が立たなかった。おまけに、広東語なのか北京語なのかも確認していないので、その2種類の言語を紙に印刷してお渡ししようと思う。

 今日、最も作業量の多い遅延案件に取り組むつもりだった。しかし、新しいiPhoneとiPad Proのメール設定がうまくいかず、かなり時間をロスしてしまった。機種変更したiPhone 7もiPad Proも、ディスク容量が256GBなのでかなり余裕がある。興味があって読みたい電子ブックは、山ほどある。これまでのKindleブックは、まだダウンロー読状態であり、なかなか読み進むことができない。読書時間を確保できるようになれば、もっと自分の視野が広がるだろうと期待している。

 映画を観たり小説を読むことも疑似体験になり、とても想像力が膨らむのを感じる。時々思うが、自分の年齢や気力、体力、視力、筋力、集中力など現実的なことを視野に入れれば、そろそろご隠居さん路線を考えなくてはいけないのだろう。

 しかし、私にしかできない分野もあるのではないだろうかと、自負している。いわゆる、言い出しっぺの役割だ。私自身が率先して飛び回るのではなく、緻密で立体的な青写真を描き、分業した部分を担当する人、一人ひとりに細かい説明をする。いわゆる、あるコンセプトを実現するチームを作ることが、自分に残された仕事なのではないかと思い始めている。オーケストラの指揮者は、必ずしもすべての楽器の名演奏家ではないだろう。しかし、明確な音楽解釈があり、それを再現するために指揮棒を振る。それが指揮者の役割なのではないだろうか。

 ここ1年ほど前から比べると、かなりイメージの輪郭が明確になってきていると思う。何をするにも時間と予算と人材が必要だ。しかし、日本は人材の宝庫の国だと思っている。緻密であり正義感が強く、心が広い。勤勉であり努力家であり、人に対する思いやりの深さもある。

 もうかれこれ半世紀近く第一線で仕事をしてきたことになる。最近、流行のようになっているが、いわゆるウェブマーケティングと総称される販売手法がある。それはそれで、どんどん進化するIT機能をきちんと把握し、効率的でスピーディーな販売を効果的に行うのだと理解している。しかし、古代の化石のような旧式の手法にこだわる私にとっては、結局永続性があり最後まで生き残れるのは、顧客の心に感動や平安を与え、常に人生観や価値観を吟味し、誠実に研究する姿勢から生まれるものだろうと思う。

 相変わらず抽象的な言葉ばかりを並べていると思われるだろう。しかし、おそらく私の特技は抽象概念を具体的な形にする、それに尽きるのではないかと思っている。

 寝言は寝てから言え、と言われるかもしれないが、なんとか近いうちに目に見える形でスタートを切りたいと思っている。あれこれ障害はあるが、いずれも将来にとっての自己訓練・鍛錬の時期だと割り切って甘受している。


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by hirune-neko | 2017-05-06 23:40 | 心の中のできごと | Comments(0)

霊界からのお迎えがやってくるのだろうか


Changeling Soundtrack - End Title


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 普通、亡くなった人は夢に出てこないというし、ましてや夢の中で亡くなった人と会話を交わすことはないとも聞いている。

 土曜日の早朝、夢の中で知人の家に泊めてもらったが、数年前に亡くなった男性も一緒にいた。会話した記憶はないのだが、目が覚めてしばし茫然としていた。

 今日の朝、何時頃だったか正確に覚えていないのだが、まことに奇妙な夢を見てしまった。

 旅支度の私は、大きなスーツケースを持ってロンドンの母の家に行った。今は亡き母がそこにいた。その日には飛行機で日本に帰る予定だった。そこになぜか、三男の家族がいた。

 母は知人に電話をしている。泣きながら、せっかく息子が来ているのだから、普通だったら何か手土産を持ってきてくれるべきではないか、と訴えている。あんなに感情的になる母を見た記憶が無かった。

 やがて、三男の娘二人を幼稚園に送ることになった。車には、三男とその妻、二人の娘達、そして私と母が同乗していた。幼稚園のある場所は、オックスフォード・サーカスという通りのすぐ近くだった。三男が降りて後部のドアを開けようと思ったとき、後ろから走ってきた車にはねられた。

 道路の脇にうずくまる三男の所に行こうと思ったら、いつのまにか、はねた車の後部座席に座り、苦しそうにお腹を押さえている。隣に座る男性も運転していた男性も、信頼の置けそうもない印象だった。三男に声をかけると、かなり痛いという。

 とっさのことだったが、そのまま病院に連れて行くと言われても、どこかに捨てられて放置されるような気がしたので、免許証の提示を求めるか、救急車を呼ぶか、車の子ども達をどうすべきか・・・緊張した瞬間だったが、そこで目が覚めた。

 連続して死人と過ごし、しかも研修医として激務の最中の三男の痛み苦しむ姿を目の当たりにし、とても後味の悪い夢が続いた。胸騒ぎもする。夕方になって、ようやく次男にメーrを送った。ひと言だけ「生きてるか?」と送信した。まだ返事はないが、何かあったら嫁から連絡があるだろう。

 私の年齢になると、身近には他界する人やカウントダウンの人たちが何人も存在する。奇妙な夢が続くと、お迎えが来たのかなと思ってしまう。少しばかり、弱気になってしまった一日だった。

 その割には、かなり集中して懸案事項をこなした一日だった。改めて、たとえお迎えが来たとしても、後顧の憂いなく心穏やかに旅立てるよう、集中してスピードアップし、なすべきことをやり遂げようという気持ちになっている。

 糖分の摂取を減らすため、カカオ分95%のチョコレートを買って食べてみた。正直に言うと、不味い。甘さを求めているのに裏切られた感じだ。甘くないのは当たり前なのに。

 余命というのは、不明なのがいいところなのだろう。でも、強い使命感があれば、生命力も高まるような実感がある。すでに三千年も生きているというのは、嘘のような本当のようなあやふやな心象だが、でも、これまでの人生は密度が濃かったように思える。

 実際には、十の位を四捨五入したら百歳だというのに、知識欲と好奇心、向学心はますます高まっている。複数の外国語、暗号数理学、統計学、データベースプログラム、そして勿論インテリジェンス。多少使いこなせるのは英語ぐらいなので、本当に三千年も生きているのか、疑わしくなることがある。しかし、思索は長く深く継続してきたように思う。サルトルもカミュも、ニーチェもヘーゲルも、その述べている内容を自分自身の考えと比較して判断しているではないか・・・それは冗談であるが、冗談はほんの数%だというのも、正直な気持ちがする。

 絶え間なく考え続け、なんとなく収束に向かっていると思えるのは、実際にそうなのか、あるいは単なる希望的幻想に過ぎないのかか。それはあと5年もすれば、検証ができていると思う。なんとか最低5年は第一線で生きていたいと思う。少しでも多くの、善良な方々のために、共有していただける遺産を遺したいというのが、私のささやかな野望である。


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by hirune-neko | 2017-05-03 01:01 | 心の中のできごと | Comments(0)

知人の訃報に接し、現実世界に引き戻された


Astor Piazzolla - Remembrance.


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 一年ほど前に、脳梗塞と肺がんを併発し、かなり体調が悪いとは聞いていた。快方に向かっていたと知らされていたが、昨晩、自宅で他界したそうだ。

 40数年前に、結婚してアメリカから奥さんと一緒に帰国したときから見知っていた。娘さんの一人と、わが家の三男の嫁の兄が結婚したため、知らないうちに親族関係になっていた。明日のお通夜に伺って、お別れをしてこようと思う。

 年齢は73歳だったそうだ。活動的な男性だったので、私と同世代だとばかり思っていた。

 こうして、身近な人が亡くなると、改めて人生の終焉が現実感を伴って脳内を占有する。後顧の憂いなく、懸案事項をやり遂げて、終生を短編作品を書きながらゆったり過ごそうというのは、まったく身勝手で都合のいい、希望的な妄想だとの、警告を受けたような気になってしまう。

 もう少し集中し、スピードアップしなければいけない、という脅迫観念に囚われてる。時系列で達成目標を立て、着実にこなさなくては・・・人生の残余期間は無限に残されているのではなく、しかも、なんの予告もなしに突然、最期の時が訪れるかもしれない。

 普段は、妄想世界に耽溺している時間が長いと自覚しているが、今日ばかりはずっと現実世界で時間を過ごしていたように感じている。

 自分に対し、もう少し負荷をかけて、歩みを速めるべきだという殊勝な気持ちになっている・・・が、果たして何日続くことやら。


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by hirune-neko | 2017-04-29 23:47 | 心の中のできごと | Comments(0)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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