昼寝ネコの雑記帳

2017年 06月 03日 ( 1 )

今日は一日中、実務脳のまま終始していた


A House Is Not A Home ~ Eliane Elias


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 実務的なことで一日中を過ごしてしまうと、いざブログに向かっても何も思い浮かばない。自分が、実務能力と妄想能力のいずれにも中途半端なのかもしれないと、自信が揺らいでしまう。

 仕事が一段落したら、あるいは出張のついでに日程を一日延ばし、裏日本に足を運んでみたいと思っていたせいなのだろう。もともと、青空が広がり太陽が眩しく輝く地域よりは、どんよりとした雲が低く垂れ込め、太陽が見えないような場所に親近感を感じる。もうかなり以前のことだが、青森県の板柳町に行く機会が多かった。青森空港からバスに乗り、窓から空を見上げると一面が灰色の雲に覆われている。そんな景色しか記憶にない。しかし私にとっては、郷愁を感じさせられる景色だった。

 改めて思い起こし、比較してみると父方の祖父と、母方の祖父は対照的な人間だったと思う。

 父方の祖父は、私が生まれた頃から一緒に暮らしていた。私の事は可愛がってくれた記憶がある。しかし、腕には「大力」と刺青があった。毎日酒を呑み、北海道だったのでストーブに火が入ると、大きな瓶にどぶろくを作り、何重にも厚手の生地で巻いて、ストーブのそばに置いた。祖父は確か長男だったはずだ。同じ街に一番下の弟が住み、砂川には二人の弟が住んでいた。兄弟全員が大酒呑みだった。酒を呑むと大声を出し、テーブルをひっくり返すのは、日常茶飯事だった。大騒ぎになると、小さかった私は机の下に隠れ、両手で耳を塞いだ。

 小学校の低学年にもなっていなかったかもしれない。どうすればこの苦痛の喧騒を鎮めることができるか、幼い子どもなりにその方法を考えた。結論が思い浮かんだ。木製の野球バットで、大騒ぎする大人の頭を、思いっきり殴れば静かになるだろうと考えた。明らかに殺意を持ったのである。

 30代の前半、興味本位でカウンセリングを受けた。カウンセラーが、思い出したくない記憶を思い出して話せと言う。しばし考えて、その、酔っ払いを撲殺する決心について説明した。カウンセラーは驚き、幼い子供が殺意を持った私に深く同情を寄せてくれた。

 そんな家庭環境だったので、今にして思えば、父が寡黙であり感情を表面に出さなかったことがよく理解できる。いや、出そうにも出せない性格に育ってしまったのだ。その父は、私が大学一年生の時に癌を発症し、二年生の時に他界した。危篤状態になり、叔父が寮に電話してきたが、あの頃の私は奔放に外泊を重ね、とうとう父の死に目に会えなかった。父は亡くなる直前、私と話したがっていたらしい。

 一年半ほど前だったと思う。私が札幌の母の家に行った時、父の従姉妹が見舞いに来てくれた。祖父とはかなり歳の離れた一番下の弟の娘だ。したがって、私とは二歳しか違わない。雑談の中で、私の父が祖父の実の子どもではない、と彼女は言った。さらに驚いたことに、祖父と祖母は生地の秋田にいられなくなり、北海道の室蘭に逃げてきたと言う。一瞬、言葉を失った母と私は、お互いに目を見合わせた。母ですら知らなかった、いわば隠された世界だった。

 長い間、祖父と父を観察し、無意識のうちに比較していたようだ。子ども心に、その二人に対しそれぞれ相容れない異質なものを感じ取っていた。家族なのに、という違和感を感じていた。したがって、父の従姉妹のその言葉を聞いたとき、私はなぜか得心することができた。やはり、あの二人には血のつながりがなかった、思った通りだ、と納得したのである。

 私は、毎日酒を呑み若い頃から仕事をしなくなった祖父に対し、ある種の忌避感を感じていた。一方で、父に対しては、無邪気に接することのできない自分がいた。これはある意味で、私の心象風景を複雑にしていた原因なのではないだろうか。

 あの日以来、私の記憶には埋めることのできない空白ができてしまった。既に他界している父の、実の両親とはどのような人たちだったのだろうか。どのような経緯で、父は実の両親と離れることになったのだろうか。遠く過ぎ去ってしまった今では、すっかり濃い霧に閉ざされてしまっている。もうおよそ約一世紀前の出来事なので、何も資料は残っていないだろうし、当時のいきさつを知る人は存在していないだろう。従姉妹がその時、自分の弟がいろいろな話を、父から聞いていると言った。

 今日短時間だが、父の生い立ちについて、ふと考えていた。手がかりは何もないと思うのだが、当時の戸籍謄本を頼りに、一度秋田の地に行ってみたいという気持ちは、まだ消えていない。いつか秋田に行って、父の痕跡を探してみたいと思っている。あの時そんなことを言ったら、従姉妹は一笑に付した。本当に笑いながら、「あんた今頃そんなこと調べて、何になるのさ」、と言った。こればかりは、メンタリティーの違いなので、議論しても始まらないことだ。

 亡くなって今は存在しない父に対し、そのような感情を持つことだけでも、父が喜んでくれていることが分かる。

 母方の父は、青森県の五所川原の生まれだ。太宰治と同じ場所であり、しかもほぼ同年代である。その祖父は、かなり優秀な人間だったようで、今でも室蘭には日本製鋼所という会社があるが、三十代の若さで工場長になり、働きすぎによる過労が原因で、四十歳前に他界した。母の苦難の人生はそこから始まった。母からはよく、祖父のことを聞かされた。母が十四歳の頃に他界しているので、もちろん私は一面識もない。しかし、母の描写する祖父の姿は、親近感と一緒に記憶に残り続けている。

 私はなぜ自分が、既に他界した人たちのことを、遠く離れて住んでいる生きた人間よりも身近に感じるのか、不思議なことだがその理由は分からない。

 津軽の空とはまた違う空が、秋田には広がっていると思う。たとえ何も痕跡を見つけることができなくても、父が生まれ住んだであろう土地の空気を吸うことだけで、満足できるのではないかと思う。

 存在感の薄いまま、人生を閉じた父だったが、架空の伝記として文章の中に、せめてその心象風景を再生してやりたいと、ぼんやり思い巡らしている。


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by hirune-neko | 2017-06-03 00:28 | 心の中のできごと | Comments(0)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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