昼寝ネコの雑記帳

2017年 05月 18日 ( 2 )

金沢や能登に対して不思議な郷愁を感じる


Guitar Duo KM - Oblivion, A. Piazzolla


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 今日、能登にお住まいの方と何度かメールのやり取りをするうちに、遠く過ぎ去った懐かしい会話が甦ってきた。

 明後日、一周忌を迎える亡き母は、異常と思えるほど草花を愛でた人間だった。その母は、一度金沢の兼六園に行ってみたいと、口癖のように言っていた。

 学生の頃、福井県の鯖江までは何度か行ったことがある。長野から新潟、そして富山へは三男家族が住んでいた頃、2度ほど行ったことがある。しかし、金沢と能登には1度も行ったことがない。

 かつて、すでに故人となっている自称将棋気違いの80歳代の方と、毎月車で厚木の将棋教室に通った時期がある。片道1時間ほどの車中、少しずつ心を開き、お互いの過ぎ去りし日々について語るようになった。ある日、帰りの車中で彼は最近見た映画だが、と言って話し始めた。

 映画のタイトルは「駅路」で、原作は松本清張だ。35年間勤めた銀行を定年退職した男性が、ある日家を出たまま帰らず、家族が捜索願を出すという設定だ。広島支店長時代に知り合った女性と、時々密会を重ねていた場所が、私の記憶に間違いがなければ金沢周辺だったように思う。ゴーギャンの画が好きだった主人公の話を、まるで自分のことのように重ね合わせ、懐かしそうに語り続けた。ゴーギャンが晩年を過ごしたタヒチに、自分も行ってみたい、と彼は言った。

 私にとっては、金沢も能登もまだ見ぬ土地である。しかし、街並みやそこに住む人たちの心情に、陰影を感じている。いつか一度行ってみたいと思っている。

 生きていれば、誰でも毎日視野に入る目の前のことに追われる。必死にそして真剣に生き続けて、やがて人生の大きな分岐点を迎えたとき、それまでの延長線上に未来を見る人もいるだろうし、場合によっては大きく方向転換を考える人もいるだろう。現実の中にあっても、目に見えない心の中の世界に視線を移す時間があれば、自分自身をもう少し客観的に見ることができるのではないだろうか。

 私自身、時々飽和状態を感じることがある。それは能力の限界だったり、消化しきれないストレスのこともある。そんな時は、生きる方向感覚を失ったかのような、不安を覚える。現実と非現実の世界をバランスよく視野に入れ、思索する余裕を持てる人生を生きたいと思う。

 私はおそらく、年齢の割にはIT機器を使いこなしている方なのではないだろうか。今日、iPad Proで使い始めた新しい機能を、iPadでも使いたかったが操作方法がわからず、アップルのサポートセンターに電話した。電話に出た方が対応できず、技術担当の方に代わってもらった。口頭で説明をしたところ、よくわからないので画面共有したいと言われた。画面を共有してもらい、目的のアイコンを示した。そうすると、これは初めて見る機能だと言われた。正直言って驚いた。少し時間を置いて調べてくれたので、どのように操作をすれば使えるようになるかはちゃんと教えてもらえた。

 機能が低下する一方の私とは反比例して、どんどん思いもよらなかった新しい機能が追加されるIT機器には、とても助けられている。まさか、脳内に人工頭脳チップを埋め込むような時代は来ないと思うが、もし実現したら真っ先にお願いしたいと思っている。

 世界の主要7カ国語完全マスターチップ・ 36 GBで、手術代込み30万円、のような広告を実際に目にする日が来るかもしれない。もうしばらくは、それを楽しみに生きていたいと思う。


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by hirune-neko | 2017-05-18 22:45 | 心の中のできごと | Comments(0)

珍しく外出時間の長い一日だった


Save Your Love for Me - Eliana Elias


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 今日は都心のほぼ同じ場所を、車で2往復した。延べで約8時間の外出だった。私にしては長時間の外出だったため、帰ってきてから椅子に座り、少しうたた寝をしたようだ。

 昨日資料を送った、ある産婦人科医会の事務局から電話があった。ファックスで送信した文章を、PDFにしてメールに添付送信してほしいという依頼だった。もともとPDF化しているので、すぐに対応して外出した。
 すると、目的地近くを歩いていたら会社から電話があり、産婦人科医会の事務局から電話があったと知らされた。折り返し電話をすると、資料を会長に見せたいのだが、項目の順番を変更してほしいと言われた。内容をかなり読み込んで、興味を示してくれていることがよくわかった。それはとても嬉しい反応だ。
 電話を下さったのは女性の方で、私の勘ではどこかの産婦人科病院かクリニックで師長をされていた方だと思う。直接患者さんに接する立場の方には、私たちが作っている絵本の価値をよく理解していただけるはずだ。

 打ち合わせ中は携帯の電源を切っていたが、オンにすると着信履歴があった。連絡をとると、いろいろお世話になっている方だった。ここ数日のブログ記事を読まれて、ある地域の産婦人科医会につながる人を紹介してくれる、というお話だった。とても有難いことだ。

 北海道、東北、関東、関西などの産婦人科クリニックを訪ね、一生懸命に営業した時期がある。その後、新規開業される院長先生に焦点を絞り、営業コンタクトをした時期がある。乏しい経験ではあるが、新規開業の先生の方が興味を持って説明を聞いてくれたと思う。

 周囲には、ウェブマーケティングをよく研究し、FacebookやTwitterを活用して顧客を広げる手法を提案してくれる人もいる。しかし、商品の特性と機能、それと将来を見越した構想を展望して、焦らずにじっくりと理解者を探す方向を選択することにしている。

 今日は、ボランティアで手伝っている、あるプロジェクトの中心人物と会う機会があった。とても優秀・有能な方で、立派な経歴の持ち主でもある。私は、側面あるいは背面からの、いわゆる後方支援部隊としての立場で関わっている。
 その方の口から、弱気な言葉がもれた。どうやら、私が思っていたよりは、はるかに健康状態が良くないようで、最悪の事態を覚悟しているような口ぶりだった。文字通り、身命を賭して使命感に生きている。ふと、余命3年時事日記の初代・かず先生と二重写しになった。彼は、「その時は、後を頼みます」という言葉を残し、地下鉄の駅に向かった。私はしばし、その後ろ姿を無言で見送った。「いえいえ、私は裏方専門ですから」という私の言葉は、軽すぎたかもしれないと後悔している。

 これまでの半世紀近く、私は比較的異文化の人達と接する機会が多かったように思う。最も多く接したのは、アメリカ人だった。色々な職業、経歴、立場の人たちと話す機会を多くいただいたと思っている。その結果、その場の空気を読んだり、相手がどのように受け止めるかを気にしたりせず、あくまでも自分の考えを持ち、それをストレートに主張することが重要だと確信するに至った。

 海外に行かなくなってから、かなりの年数が経過している。しかし不思議なことに、色々な外国語に対する興味は尽きず、特に英語で自己主張し意見を交換する場面が、まるで既視感のように思い浮かぶことが多くなっている。あれこれいくつもの外国語を趣味的に食い散らかすのではなく、英語の表現能力を深く身に付け、ディベートできるレベルにすべきだという促しを感じるようになっている。実に不思議なことだ。

 自分の年齢を考えると、北海道や九州・沖縄に行くのがせいぜいであり、これからの人生でアメリカやヨーロッパに、頻繁に訪れるなどという事は想像すらできない。作家が本業になって、取材旅行が必要になれば、それはまた別の次元の話である。単なる予感だが、ここ日本にいても外国人とのディスカッションを英語で行う機会が増えそうな気がしている。何の根拠もない馬鹿げた話ではあるが、私はずっと自分の勘を大事に生きてきているので、英語を勉強する時間は確保したいと思っている。

 数日前、外資系企業を辞め、アメリカの大学のMBAへ留学しようと考えている男性と話をした。もともと、アメリカの大学を卒業しているが、再度留学をしたいと言った。その時、試験内容を尋ねたら、GMATとTOEICだと言った。既に高得点の実力があるようなので、自信はありそうだった。滞在費や授業料について心配したが、それもちゃんと蓄えがあると言う。立派なものだ。奥さんと3歳近くの女の子の3人家族だ。年齢は、我が家の三男とほぼ同じで、三男とは旧知の間柄だそうだ。無事に卒業して日本に帰ってきたら、その時は顧問料を払うからわが社の相談に乗ってよ、と言うと嬉しそうに笑った。

 幸いなことに、私の周りにはガッツのある人たちが多い。とても良い刺激になっている。子供たちもそれぞれの分野で、開拓者精神旺盛にチャレンジしている。

 人生の終焉を覚悟した旧友の言葉と表情が、今でも脳裏に焼きついている。私とて、長年健康診断をしていないので、どのような健康状態なのか皆目わからない。しかし、人間というのは最後の最後まで前傾姿勢を崩さずに、歩き続けることができたら、佳き人生だったと賞賛されていいのではないだろうか。

 私にはまだまだやり残していることがあるので、悪あがきしてもう少し生き続ける責務がある。徐々に加速度をつけ、第一線を離脱する時を、早く迎えたいと楽しみにしている。


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by hirune-neko | 2017-05-18 01:37 | 心の中のできごと | Comments(0)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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