昼寝ネコの雑記帳

2017年 03月 14日 ( 1 )

気の重いスタートだったが、変化に富んだ一日だった


Astor Piazzolla: «Coral»

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 赤ちゃんの名前を入れる絵本には、いくつかのオプションがある。その一つが、足形色紙だ。生まれたばかりで絶えず動かす赤ちゃんの足をスタンプ台に当て、色紙に足形をつける。単純な作業ではあるが、じっとしていない赤ちゃんが相手なので、病院の現場では苦労しているようだ。その証拠に、足形色紙が足りなくなり少し余分に送って欲しいというリクエストは日常的にある。

 郵送したはずの、その足形色紙が届かないというアクシデントが起きてしまった。私が電話で状況を説明しても、お母さんは納得しなかった。そして、病院にクレームを入れ、泣きながら不満を述べたそうだ。昨日、その病院の患者サポートセンターの方から電話があった。これまでの経緯を文書としてまとめ、患者さんに送るようにという要請だった。

 なぜ、足形色紙に対しそこまで異常な執着を示すのか、理解ができなかった。しかし、お得意様の病院からの要請なので断るわけにもいかない。私が謝罪しなかったことも気に入らなかったようだ。しかし、原因として考えられるのは郵便事故による不着、他所に誤配され処分された、もしくは会社の封筒で送ったというので、私たちが営業ダイレクトメールだと誤認し、廃棄したかもしれない。 いずれにしても原因が特定できない状態だった。それなのに、私たちが過失を認めて謝罪文を書くならば、後日それを根拠に損害賠償請求を起こされるかもしれない。そこまで懸念した。

 A4用紙1枚に対応の経緯をまとめ、それとは別にご夫婦に対する手紙を書いた。出来上がって、電話するとお母さんが出た。ご希望の文書ができたので、メール、ファックス、郵送のいずれでお送りすればいいかを質問した。メールによる送信を望んだので、PDF化して送ることにした。

 唐突に、まるで身の上話をするかのように、お母さんは話し始めた。具体的に何年とは言わなかったが、長年不妊治療を続けようやくできた子供だった、と言った。退院の日に病棟の師長さんが、赤ちゃんの足形がつけられた足形色紙を持ってきてくれたそうだ。長年の苦しい不妊治療に耐えた自分に対する表彰状だと、強く感じた。なので、その足形色紙には普通以上に特別な愛着があった、と泣きながら話すお母さんの心情を私は理解した。

 それはよく理解できるものの、自分を慕って泣く小さな子供との思い出を、未来という時間領域で作れるではないか。過去に存在した足形色紙にいつまでも執着せず、前を向いて歩いて行って欲しい。それが私の偽らざる気持ちだった。
 「私たちは過去に4万人以上の赤ちゃんのために絵本を作りました。しかし出産にはいろいろなシーンがあります。長年の不妊治療の末、ようやく子供ができて出産という時に、へその緒が首に絡まってい亡くなったというケースがあります。子供が生まれるのを楽しみにしていたお父さんが、出産直前に病死したケースもあります。さらに、出産した直後にお母さんが亡くなったケースもあります。ご両親の心の痛みもさることながら、立ち会った院長先生も大きな痛手を負っています。そのため、天使版という文章を新たに作りました。失意のご両親を慰めるためです。もちろん、院長先生の精神的な負担を軽くしたいという気持ちもあります。実は絵本の文章は全て私が書いています。 次男が出産直前に、母親を経由して水疱瘡に感染しました。出産後、小児科病院に入院しましたが呼吸が停止し、何度も仮死状態になっては蘇生しました。あの経験がなければ、失意のどん底にあるご両親の心を軽くする文章は書けなかったと思います。」

 私の話を聞きながら、お母さんは電話の向こうでずっと泣いていた。私は続けて、その奇跡的に助かった次男が、この絵本を全て作っています、と言おうとした。しかし、今度は私自身が言葉に詰まってしまった。当時の心象を思い起こし、嗚咽しながらなんとか伝え終わった。

 病院に泣きながら電話でクレームをした女性と、クレーム処理担当係の私の両方が、お互いに感極まってしまい、涙を流しながらの会話になってしまった。見ようによっては、まるで笑い話だと思う。

 非売品の「わたしの読書記録ノート」というノートがあることを伝えた。やがて赤ちゃんが大きくなり、絵本を買ってあげたり、読んであげたりするときに、誰が買ってくれた、誰が読んでくれた、どんな反応だったかなどを記録できるノートだ。お子さんが大きくなったときにこのノートを見れば、自分がご両親から大切に愛され、育てられたということを実感してもらえます、と伝えた。次男は私の後ろで、黙ってこのやりとりを聞いていた。

 電話を切った後しばらくして、また電話をした。絵本に用紙1枚を余分に加えるので、そこに長年の不妊治療の辛さや、授かった赤ちゃんに対する深い愛情の気持ちを、文章で残されてはどうかと伝えた。その申し出には、とても喜んでいただけたようだ。

 朝には、あれほど憂鬱だった気持ちも、すっかり軽くなっていた。やはり、心の重荷で苦しむ人がその重荷を下ろし、前に向かって新たな一方踏み出す瞬間を見るのは、とても嬉しいものだ。

 何週間か前に、無料会員制みるとすとの提携を相談しに、ある財団法人の理事長にお会いしたことを書いた。今日、その財団の広報担当の方からメールがあった。財団のリンク先として、みるとすを掲示してくれたと言う。財団のページを見たら、関係団体というカテゴリーに名前を掲載してくれていた。クリックすると、古い方のサイトが開かれたが、何か大きな歯車が動き出したような印象を受けた。間に入ってくれた方が、かなり尽力してくれたからだ。改めてお礼を申し上げたいと思う。このブログで、いずれ財団の活動内容や告知したい内容について、ご紹介させていただこうと思う。今日はただその財団名と掲載ページを、読者のみなさんには報告を兼ねてご覧いただきたいと思う。フル公開前なのに大変恐縮している。

【児童健全育成推進財団】
(一番下から2番目に「みるとす」の名前がある)

 ついでながら、もう一つ記録させていただく。過日述べたように、本件についてはこれ以上書かないつもりでいた。ある福祉団体のための情報機関の設立についてだ。この福祉団体は国際的に展開しているが、アジア地域の法務本部はフィリピンにあるそうだ。今月の下旬にその本部からアメリカ人の日本担当弁護士が来日するという。この情報機関についての意見交換を行うので、同席してほしいという依頼の電話があった。もちろん快諾したが、最後に言われたのは、この弁護士が日本語を全く話さないという事だった。電話を切ってから慌てて、iPadに英和・和英辞書がダウンロードされているかどうか確認した。もう数十年も前に、頻繁に渡米していた時は、英語で商談するのにあまり不自由を感じなかったが、日常的に英語を使わなくなってかなり年数が経ってしまっている。錆ついているなんていう生易しいものではないと思う。でも最近は熱心に、アメリカテレビドラマのCovert AffairsやNIKITAを観て、字幕を読みながらも耳では、どのような英語表現かに集中していて良かったなと思っている。

 それにしても、今日ばかりは急激に自分の身辺が慌ただしくなりそうな予兆を感じた。逗子か葉山で作家生活・ ・ ・と言うと村上春樹さんに申し訳ないので、「作家もどき生活」を送りたいという希望が、一体いつになったら実現するのか、すっかり遠ざかってしまいそうな予感がする。

 さらなる余談だが、昼寝ネコの雑記帳という単行本を出版した時、たくさんのイラストを描いてくれたカトリ〜ヌ・笠井さんが、今頃になってFacebookを始めたそうだ。早速友達申請をしたところ、もともとブログ記事は読んでくれているのだが、改めて村上春樹さんと私の世界観に共通するもの感じる、とコメントを入れてくれた。なので、それに返信し、村上春樹さんと私の共通点は、両方ともノーベル文学賞候補作家である点だと書いた。
 それは面白い冗談だ、と笑われるに決まっている。しかし、私は本気である。数年前のノーベル文学賞作家は、カナダ人の女性短編小説作家だった。なんと年齢は80歳だったと記憶している。その記事を目にした瞬間、私は自分にも可能性があると直感した。だってまだ20年近くの時間的な余裕があるではないか、とそのときは勝手に思い込んでしまった。

 人生なんて様々であり、他人に迷惑さえかけなければ、どんな妄想を抱こうが希望を持とうが、それはその人の自由なのではないだろうか。それが、この生きにくい世の中で生きる原動力になるのならば、かわいいものではないかと思う。

 今日はいつになく、少々饒舌すぎたかもしれない。いや、文章を書くとなるといつだって、饒舌になっていると自覚している。


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by hirune-neko | 2017-03-14 23:59 | 心の中のできごと | Comments(0)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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