昼寝ネコの雑記帳

2017年 03月 13日 ( 1 )

じっとして、気力が戻るのを待っている


"DESPERTAR" - Astor Piazzolla

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 油田を堀り当てて、次々と豊かな原油が湧き出てくるのなら、歓喜の声を上げるだろう。しかし最近の私は、どうやら間違った場所を掘り当てたらしく、処理の難しい案件が次々と湧き出してくる。単純にこなせる作業なら、やればやるだけ目に見えて減っていくだろうから張り合いも出る。しかし新規案件で、関係者の意向を忖度して進めなければならなかったり、厄介な性格の人からのクレームがあったり、めったにやらないサーバー内の設定作業が続いたり、新規案件の企画書をゼロから作らなければならなかったり、などなどすっかりぬかるみに足をとられた感じだ。

 長年悪戦苦闘してきた歴史を経験しているせいか、こんな時は下手に悪あがきをせず、好きな映画を観たり、音楽を聴いたりして気力が戻るのをじっと待っている。20代や30代の頃と比べると、まだ何とか全体領域を見渡せるので、むやみやたらに動き回って消耗することはない。焦りは禁物だと思っている。

 みるとすの再構築作業が、あまりの多忙のため中断している。仕事の合間やウォーキングの最中に、頭の中であれこれ思いめぐらしている。会員として登録してくださる皆さんに、できるだけ有益な情報を提供したいというのが最優先課題だ。しからば、どの領域の情報をどれぐらいの精度で収集し、分析できるのか、そればかり考えている。

 OSINT情報(Open Source Intelligence)、すなわち公開情報の中から選定して収集し、分析を加える。世界の主要国の情報機関は、この公開情報の収集・分析に、全体の8割以上の時間と労力を割いているといわれる。この手法ならば、検索エンジンを使って確度の高い情報源を絞り込み、ある程度の精度の情報を収集することは可能だと思う。みるとすは無料の会員制組織なので、人件費等の予算はゼロである。どのように運営するのか、普通なら思い悩むところだと思うが、できるところから少しずつ蓄積し、協力者の輪を拡げていくしかないと思っている。

 潤沢な予算や設備、人的ネットワークのある国家情報機関とは違い、完全に手弁当で始めなくてはいけない。したがって、様々な情報収集手段のうち、採用できる可能性の高いもう一つの手法は、HUMINT情報(Human Intelligence)だと考えている。対象とする人物に接触して、情報を得る手法だ。少しずつ、信頼できる人間関係を拡げ、主旨と理念をよく説明して協力していただき、彼らの持つ情報を開示してもらうようお願いするつもりだ。ある程度は、相手がどんな立場の方であっても説得できる自信はある。

 それにしても、最近はのんびりと禅問答のようなペースで、進める時間的な余裕がなくなってきているような緊迫感を感じている。毎日、20数種類の主要な政治ブログに目を通している。中には矮小化されたテーマで論争している人たちも多いように見受けられる。しかし、現実に目を向けると東アジア近隣国の動静は、もはやすでに対岸の火事ではなくなっているのではないだろうか。もちろん、何かが起こるまでば、私たち一般市民には具体的な状況把握はできない。しかし、政府レベルともなると・・・あくまでも想像ではあるが・・・色々なオプションの発生を想定し、シミュレーションしているに違いない。

 まずは、自分の家族が生き延びるために必要な、基本備蓄を実現することだと思う。次いで、信頼できるな情報源を探し当て・・・逆にいうと日本の弱体化を目論むメディアは避け、できれば速報機能を持つ情報源を確保することも重要になると思う。その理由は、例えばミサイルが着弾したとか、日本領土に外国の軍隊が侵攻してきたとかなどの情報は、あらゆるメディアが一斉に報じるだろうと思う。しかし、局地的に実行される食品テロや生物化学兵器の使用などは、情報が一気に拡散することは期待できないと考えている。そのような緊急事態を、逐次速報態勢で知らせてくれる機能は、必需品になると考えている。

 これまで配信してきたWeekly みるとすは、文字通り週に1回のペースだった。しかし、会員登録した人たちに対しては、随時一斉にメール送信をすることができる。従って、何か緊急に伝達する必要な情報を入手した場合は、速報態勢で注意を喚起するようにしたいと考えている。そのためには、スタッフの常駐体制が必要となるため、現時点では予算の関係で精度の高い機能の確保は困難である。何とか、実現できる方法はないか知恵を絞って考えているところである。

 一瞬にして情報が世界を駆け巡り、さらには一瞬にして国を滅ぼすほどの力のある軍事兵器が点在している時代に、私たちは生きている。当然のことながら、ある種の緊張感を完全に拭い去ることはできない。
 一方で、人間の寿命というのは長ければ長いほどいいとは思わない。100歳まであるいは120歳まで生きたからといって、そこにどれほどの意味や価値があるだろうか。同様に、この緊迫しつつある情勢を生き延びることは必要条件であって、十分条件ではないと考える。つまり、人生の終わりに最も価値があると思えることを、今から大切に蓄えておくことこそが、どんなときにも見失ってはいけない道標だと思う。

 最近、ある雑誌で読んだいいお話を紹介したい。


(以下、引用開始)

 葬儀で追悼の言葉が述べられ墓地までの道のりを悲しみのうちに歩いた後成人した子供たちは母親が残したささやかな遺品をより分けました。ルイスは遺品の中に1 通のメモと鍵を見つけました。そのメモにはこう書いてありました。
 「角の寝室にあるわたしの鏡台のいちばん下の引き出しに小さな箱があります。その中にはわたしが心から大切にしてきた宝物が入っています。この鍵でその箱を開けられます。」
 母親が鍵までかけてしまっていた大きな価値のある物とは何だろうと 皆が思い巡らしました 。その箱はしまってあった場所から取り出され 、鍵を使って注意深く開かれました。ルイスと兄弟たちが箱の中身を調べていると子供が一人ずつ写っている写真を見つけました。そこには子供の名前と誕生日が書いてありました。
 それからルイスは手作りのバレンタインカードを取り出しました。子供らしいぎこちない字は自分のものだと気づき、60 年前に書いた自分の言葉を読んでみました。
 「お母さん、大好きだよ。」
 皆の心に込み上げるものがあり、声は優しくなり、目頭が熱くなりました。母親の宝物は永遠の家族だったのです。この家族の強さは,「大好きだよ」という堅固な基に支えられていました 。(Thomas S Monson)

(以上、引用終了)


 人生の晩年になってようやく、大切なものが何かに気づく人は多いと思う。失って初めて気づくこともあるだろう。人生で最も大切なものについて考える上で、示唆に富んだ話だと感じた。

 3,000年を生きてきた私にとっても、共感を覚える話だった。


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by hirune-neko | 2017-03-13 23:48 | 心の中のできごと | Comments(0)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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