昼寝ネコの雑記帳

2012年 05月 26日 ( 1 )

無事に帰還しました

Eliane Elias - "That's All"


旅程最後の訪問地、福島から帰ってきました。

昨日、市内の2新聞社に行って取材を受け、
ホテルに戻って、改めて新聞社の一覧表を確認しました。
もうこれで、主要な新聞社はすべて訪問したと思っていたからです。
いわき市は、内陸部で津波の被害はなかったと思っていましたが
備考欄を見たら「浜通り地域の中心部に位置し・・・」と
書いてありました。まさに津波被害が甚大だったところです。
一瞬、迷いがありました。
すでに15社を回りましたし、調べたらいわき市は
かなり遠く、電車も乗り換えが必要で片道2時間以上。
バスは本数が少ない・・・残る手段はレンタカーしかありません。
あともう1社に行くだけの気力が残っているだろうか。
そのときまた、あのコラムニストのネコが囁きました。

「君は、ニューヨークで会ったときに話した
ボクの絵本のストーリーのことを、もう忘れたのかね。
そりゃあ、各地域に何人の人たちが疎開しているか
ボクにも分からないけど、でも、たった一人しか
いなかったとしても、その人のために
努力するべきではないのかね。
なんでもすぐに忘れて、けろっとするのは
君の長所であるけれど、短所でもあるんだよ。」

幸いに、ニッポンレンタカーはすぐ近くにありました。
いわき民報社に電話すると、5時なら会えるとのこと。
途中、工事渋滞で予定より1時間多くかかりましたが
なんとか5時ぎりぎりに到着しました。
記者の方から身近の、父親を亡くした小学生の長男のことや
被災者のお話を聞きながら、ああ、やはり
来て良かったなと思いました。

片道、200キロ近くの距離でしたから
かなり遠かったですし、何よりも、初めての場所は
すっかりカーナビに頼り切っています。
それでも、帰途、磐越自動車道だったかの料金所で
福島への方向を確認したら、反対の方角に来てますよ
と言われて、がっくりしました。

大きなカバンはホテルから宅配便で送り
重いカバン1個を下げて帰ってきました。
帰りの京浜東北線の車中で、またあのネコの
囁きを感じました・

「君は、北海道、青森、岩手、宮城、福島まで回って
もうこれで終わった気になっているようだけど
秋田と山形には、疎開している人が
一人もいないと思っているのかね?」

そういえば、大館の新聞社の人が言ってたのを憶えている。
かなりの被災者が疎開してきているって。
オッケーオッケー!
6月になったら、秋田と山形に行くことにしよう。

訪問した新聞社の全ての記者の方に、
私たち、絵本の製作に携わる全ての人間が
このニューヨークのコラムニストであるネコと
同じ気持ちで、この被災者向けの絵本に取り組んでいます、
そう言って、ブログのこの記事を印刷して渡しています。
室蘭民報の常務さんは、ご自身自らのコラムに
何か書くとおっしゃっていました。
以前も紹介した、この記事です。
個人的に、気に入っている内容なんです。

「ネコから届いた絵本」

本当は人前に自分をさらけ出すのは嫌いなんですが
記事にしてもらうためには、やむを得ません。最後に、
「昼寝ネコ」って、私なんですよ、と告白しますと
ほとんどの記者様は、へ〜っ1!と、喜んでくださいます。
そうなんですよ。目一杯のサービス精神なんです。
すでに、弘前・陸奥新報と、盛岡・岩手日報には
顔写真入りで紹介されています。
もう、どうにでもなれです。

新聞を読んだ方々から、申し込みが始まっています。
ご両親を亡くされた小学生の女のお子さんのための絵本は
おじいちゃんからの申し込みでした。

3人の小さなお子さんを残して亡くなったお父さんの場合は
おばあちゃんからの申し込みでした。
人生の晩年で息子に先立たれ、小さな孫とその母親を
死ぬまで支えなくてはいけないと・・・
自分の悲しみに浸っている余裕はないのです。
不覚にも、電話口でもらい泣きしてしまいました。

生き残った人たちにとっての苦しみと悲しみは現実です。
でも、私には不思議と、亡くなった方々の気持ちの方が
強く感じられるのです。
どんな心象で、何を伝えたいと思っているか・・・が
分かるような気がするのです。
人生は、いつか振り返ってみるなら、たとえ
どんなに過酷と思える苦難であっても、
穏やかに受け止められる時期は、必ず訪れます。
そう思わないと、生きること自体がとてつもなく
重いものになってしまいます。
でも、時間がかかるかもしれないけれど、
いつかきっと・・・と思えるだけで、かなり重荷を下ろせるものです。
そう確信しているから、被災者向けの絵本の文章を
確信を持って作ることができました。

女川で小学生の息子さんを亡くされたお母さまとは
今でもメールのやりとりを続けています。
どうすれば、親を亡くされたお子さんたちに
この絵本の存在を知らせてあげられるかを助言してくれています。
絵本をお送りした頃と比べて、少し元気になられたような
そんな印象を受けています。

悲しみを心の中に塗り込めたままにせず、
自然に涙を流し、声に出すことで
苦しみは徐々に軽くなるものです。
感情は、涙と一緒に外に流れ出るものなのです。

旅行中、旧約聖書の中の物語を読んでいました。
預言者サムエル、イスラエルの王となったサウル、
次に王となったダビデ、その子のソロモン。
私は以前から、自分が生まれた頃の(勝手にそう思っています)
王だったダビデに親近感を持っています。
優れた統治者でしたでしたが、人間的な過ちを犯し、
夫のある身のバテシバとの間にできた子どもは
ダビデの必死な嘆願にもかかわらず、
出産後1週間で亡くなります。
栄光と挫折と苦難。

人生には様々なことが起こります。
苦難に直面したときに、人生を否定的に捉えるか、
あるいは可能性を信じ、希望の灯火を保ち続けるか、
まさに分岐点だと思うのです。

岩手日報に掲載された記事の右横に
イスラエルから招聘された、トラウマ治療の
専門家男女が紹介されていました。
テロの絶えないイスラエルでは、親を亡くしたり
子を亡くした多くの方が苦しみを背負っており
トラウマをいくつかのカテゴリーに分類し、
作業療法的に治療するらしいのです。

私が書いた文章も、日本人のPTSDの専門家が鑑定したそうです。
やや否定的な見解だったようですが、福祉団体が
熟慮の末、英断して助成を決めてくれました。
私は、頭で文章を考えていません。
心で感じたままを表現しています。
ですから、生き残った人を見つめるのではなく
姿は見えず、声も聞くことのできない
亡くなった方の思いを代弁しているという自負があります。

おそらく私自身に、そろそろお迎えが来るのかもしれません。
なので、死者に近い視点から事象を捉えているかもしれません。
もうそろそろかなと、そう思い始めたのは
30歳代からですから、かれこれ30年はダラダラと
生き続けていますので、もしかしたら
お前のような人間は、霊界では使いものにならないと
判断されて、迎え入れてもらえないだけなのかもしれません。

改めて、この
Eliane Elias・・・ポルトガル語でなんて発音するのか
分かりませんが、多分、エリアヌ・エリアスでしょうか。
少し陰影のある歌い方が、疲れを癒やしてくれます。
旅行中はまったくテレビを観ずに、ずっとiPadで
彼女の歌声に支えられて過ごしていました。
そして、時々はピアソラとDiana Krallに、です。

行きに、いきなり川崎駅のエスカレータを下りきったところで
転倒してしまい、最後まで無事にスケジュールをこなせるか
不安でした。盛岡駅前の広場の段差に気付かず、再び転倒。
さらに、ガソリンスタンドに車を入れるつもりが
縁石が目に入らず乗り上げてしまい、警察とレッカー車を
呼ぶ騒ぎもありましたが、なんとか無事に帰ってこられました。
正直に言うと、震災で亡くなったたくさんの皆さんが
結託して私を守ってくれているという、妙な安心感がありました。
声をかけられない子どもや、親に対するメッセージを
是非、受け取らせてやりたい・・・そんな気持ちを感じました。

使命感と達成感の両方を体得できた出張旅行でした。
現地に行って、記者の皆さんを通し、実感できることが
たくさんありましたので、さらに何をすべきか
考えたいと思っています。

明日からでも、秋田と山形に出発できる
気力と体力があることに、自分も驚いています。
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by hirune-neko | 2012-05-26 23:45 | Comments(4)



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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