六ちゃんの恋(第1話)
お通夜の前日に、八畳の和室の畳替えを終えていたので、線香の匂いに混じって、青畳の香りがかすかに漂っていた。骨壺は、納骨の日までこの部屋に安置されることになっている。
初秋にしては、日が長く感じられた。弔問客もいなくなり、二人の娘と息子の嫁が台所で片付けものをしている音が聞こえる。やがてみんな帰宅するんだ。六ちゃんは思った。妻と二人きりの生活は、もう戻ってこない。今晩からは、独りきりの生活になる。 そのとき、部屋の隅でじっとしていたシロが鳴き声をあげた。「独りじゃないでしょう?ワタシも一緒ですよ」そう話しかけたのだと、六ちゃんは感じた。 「お父さん、独りで大丈夫なの?」 いつの間にか横に座っていた長女が声をかけてくれた。大丈夫じゃないといったって、健介君や子どもたちの世話が優先なんだから、どうにもなるまい。そう思って改めて長女と目を合わせた。やはり、この子が妻に似た顔立ちだと思った。少し複雑な心持ちだった。 どうやら片付けが終わったらしく、次女も三男の嫁さんも帰り支度をしている。 「いやあ、ご苦労さんだったね。みんな疲れただろう?私は大丈夫だから、早く家に帰って休みなさい」 次女が口を開いた。 「お父さん。お姉ちゃんとも相談したんだけど、心配だからしばらく交代で様子を見に来るからね。洋子さんは藤沢からここまで来るのは大変だし、子どもたちもまだ小さいから、私とお姉ちゃんが来ることにしたから」 「済みません・・・」 嫁の洋子が詫びるようにいった。 気持ちは有難く受け取るべきだと思った。 「ありがとう。だがね、小さな会社だけど、まだお父さんを必要としているし、当分は仕事をしながらゆっくり気楽に過ごすから、心配は要らないよ。とにかく、急なことだったからみんなも疲れただろうし、いずれまた機会があったらね。今日はいいじゃないか」 三人は、それぞれの家に帰っていった。 都営浅草線の終点から少し坂を上ったこの地域は、40年ほど前に妻と暮らし始めた小さな木造のアパートにほど近い。考えてみたら妻は、ずっと大田区の住人で生涯を終えたのだと、妙な感慨を覚えた。 耳鳴りが聞こえるような静けさだった。独りでいる空間が、こんなにも寡黙なものだと初めて知ったような気がした。 池上本門寺の広い境内での出来事が、急に甦ってきた。両親に連れられて、初めて東京に来たときのことや、運転手付きの黒塗りの乗用車から降り立ったお嬢様の姿が、今でもはっきりと思い出せる。 北海道の田舎町から出てきたばかりの、小学生の六ちゃんには、まるで映画を観ているような別世界だった。(つづく・・・まだ終わりません、これからです) 「ふむふむ・・・」と思われなくても、クリックをお願いします。 実際、最近は皆さまの応援が、励みになっているのです。 人気blogランキング
by hirune-neko
| 2008-08-06 17:19
| 創作への道
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Comments(6)
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静御前
at 2008-08-06 21:17
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ご無沙汰しておりました
気が重くなるニュースばかりの昨今 眉間にしわの寄る 涙腺も乾きがちの日々 この辺で瞳のお掃除が出来るかしら 期待大で 楽しみにしております
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hirune-neko at 2008-08-06 21:54
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Ton
at 2008-08-06 22:09
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hirune-neko at 2008-08-06 23:04
>Tonさん
学生時代の文体なんです。 ネコの画にとらわれず、自分の自由なイメージで 文章を書くとこうなります。 >小津安二郎の世界がほうふつ って、小津ファンの皆さんに申し訳がないです。 でも、そういっていただくと嬉しいです。 片手間の作品ですが、ご高評を よろしくお願いいたします。
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君の名は
at 2008-08-07 15:22
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hirune-neko at 2008-08-07 15:56
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・1951年
小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。 ・1969年 中央大学経済学部入学 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。 ・1974年 同大学卒業 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。 ・2006年 現在に至る プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。 ・2010年 宇宙の旅 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。 ・現在 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。 お気に入りブログ
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