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昼寝ネコの雑記帳

桜の花散るころの思い出

桜の花散るころの思い出_c0115242_1931419.jpg

 (どれもこれもカトリ〜ヌ・笠井さんの作品です)

桜並木が一面に花を咲かせるころ、
独りだけもの思いにふけり、ため息をつく
長い黒髪の女性がいました。

もう何年も前のことです。
一足先に、イタリアから帰国した陽子さんは
すぐに帰るから、先に帰って待ってて・・・
そういう彼の言葉を胸に
成田から電車を乗り継いで
逗子の家に帰ってきました。

逗子の家は、洋画家だった祖父が残してくれたもので
高台にあるため、薄水色の水平線が見渡せました。
冬の、海が荒れる時期には、海面は灰色に変わり
冷たく強い風が窓ガラスを唸らせました。
でも、春先には悪夢から目覚めた朝のように
崖下の何十本もの桜の木が、一斉に花開くのです。
希望に満ちた、胸躍る季節です。

陽子さんは五年間、何カ所かのイタリアの都市を住み歩き、
最後はヴェネチアに落ち着きました。
夜には潮が満ちて、月明かりに照らされた
海面と道路の区別がつかない、
そんな幻想的な光景に惹かれたから・・・
人にはそう説明していましたが、実は違うんです。
イタリア男性の陽気さに違和感を感じていた陽子さんの前に
日本から仕事でヴェネチアに来ていた男性が現れたからなんです。
ヴェネチアン・グラスのリサーチの仕事でしたが
彼もまた画家を目指していたんです。
ヴェネチアから運河を縫ってムラノ島まで・・・
その水上タクシーの中で、二人は偶然出会いました。

無口で陰のある彼でしたが、感性に強い共感を覚え、
音楽の趣味も、ミケランジェロに傾倒しているところも
好きな料理も・・・実に共通点が多かったんです。
陽子さんにとっては、まさに運命の出会いでした。

逗子に帰ってから、陽子さんは彼の帰国を待ちわび、
カレンダーに残りの日数を刻みました。
やがて桜の花も散ってしまい、
約束の日が来ましたが、仕事の関係で
帰国の日程がずれてしまいました。
年度替わりの三月には帰れる・・・
毎日のように電話で短い会話を楽しんでいたのが
徐々に間隔を空けるようになり、
陽子さんは不安な気持ちになりました。

三年目の桜の季節に、彼から手紙が届きました。
急いで開封したその中には
一枚の写真と短い手紙が入っていました。
彼の結婚式の写真と、簡単な別れの言葉でした。

陽子さんは、それ以来言葉を発することがなくなりました。
眠れない時間が長くなり、ベッドに腰掛けて
カーテンを開けたままの窓の遠くを眺めるようになりました。

寂しさを紛らわすために、私を飼うようになったのですが
私にはどうすることもできませんでした。
まるで重度の花粉症のように、涙と鼻水が溢れ、
みるみる身体が痩せていったのです。

陽子さんにとっては、本当に運命の出会いでした。
でも、彼にとってはちょっとした
良き出会いのひとつだったのでしょう。

桜の花がほとんど散ってしまった昨年の三月に、
陽子さんは自らの命を絶ちました。
徐々に自分自身の重さを支えきれなくなったかのように
自然に、静かに命の灯火を消しました。

私は今、逗子の同じ家に住んでいます。
陽子さんの弟が逗子の家を引き継ぐことになり、
葬儀を終えて私の顔を見るなり
「お前もここに住むか?」って言われたんです。
私は「ニャニャニャー」と答えました。
ネコ語では「結構です、いやだにゃー」
という意味だったんですが、陽子さんの弟は
どうやらえらく神経の太い人のようで
「そうかそうか、そんなに嬉しいか」と誤解し、
そのまま同居するようになりました。

陽子さんはプッチーニのオペラを好んで聴いていましたが、
弟は、あんドーナツを食べながら石川さゆりなんです。
インスタント食品ばかりで、ときどき
私のキャットフードを「ん、なかなかいける」と言って
ぼりぼり食べるんです。
一緒に昼寝をするときなんか、寝相が悪くて
潰されそうになったことが何度もあります。
でぶっちょさんですから、添い寝も命がけです。

でもね、人情家で優しい人なんですよ。
一緒にいても、とても神経が楽なんです。

でも毎年、こうして桜の花が散る季節になると、
陽子さんの悲しそうな、細い後ろ姿が
決まってまぶたに浮かぶんです。

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by hirune-neko | 2008-04-21 19:28 | 心の中のできごと | Comments(8)
Commented by うめ at 2008-04-22 02:49 x
哀しいお話しです。 想い出は美化されていきますね。
惹かれる男性は、どこか陰のある人、でも娘の結婚相手は明るくホノボノしてるほうが良い。と言ってた友人がいました。
Commented by romarin at 2008-04-22 04:17 x
陽子さんの弟さんは昼寝ネコさんかな~。

と言うのはさておいて、ロマンチックな桜の花を思わせるお話でした。
Commented by hirune-neko at 2008-04-22 06:20
>うめさん

そうそう、同感です。
息子の嫁には陰なんてなく
明るく健康的なのが一番です。
Commented by hirune-neko at 2008-04-22 06:22
>romarinさん

私に姉はいませんが、
この弟のようなキャラクターになれたらいいなと
そう思うものですから、せめてもと
あんドーナツを食べています。
一昨日、札幌に来ましたが
母が生協のあんドーナツを
買って待っていました。
これがなかなかおいしんですよ。
Commented by ケ・セラ・ソラ at 2008-04-22 08:37 x
「山桜」という藤沢周平の短編が映画化されました。近々封切りです(ぅ~ん、レトロな表現)。
山形地方の有名なさくらの木が物語を彩るんでしょう。
さくら・・不思議に物悲しいさもかもし出します。
Commented by Ton at 2008-04-22 10:02 x
ネコの物想う瞳といい、このお話といい、佳いですね。

>徐々に自分自身の重さを支えきれなくなったかのように
自然に、静かに命の灯火を消しました。
いいですねぇ....。

前回といい、今回といい、カトリーヌさんのネコちゃん益々身近になりました。
Commented by hirune-neko at 2008-04-22 11:01
>てんてんさん

年月を経ても残るのは
やはり藤沢周平なんですね。
わたしもそんな作品を書きたいなあ。
Commented by hirune-neko at 2008-04-22 11:03
>Tonさん

おほめいただいて、光栄至極です。
確かにカトリ〜ヌさんの作風に
徐々に変化があるように思います。
私にはまだまだ作風なんてありませんが、
感性のいい方の目にとまる作品を
書きたいなと欲張っています。
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妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在

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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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