昼寝ネコの雑記帳

不在者投票の期限が迫ってきた

Kurt Moll - Magic Flute - 2 Basso Arias

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 考えてみたら、投票日はこの日曜日だ。時間が経つのは速いものだと思う。解散直後の希望の党の怒濤の勢いには、官邸を含む政界関係者が目を見張った。ひょっとしてもしかして、小池百合子都知事が急遽衆院選に立候補し、総理の座を狙うことになるのではないかという観測も流れた。しかしあっという間に失速し、希望の党の党名が、失望の党と揶揄されることになった。最新の予測では、希望の党の候補者は東京都全選挙区で全敗の可能性がある、といわれている。驚いたことに、注目と期待を集めた希望の党は、失望の党に変わり、ついには絶望の党になろうとしている。

 私は政治評論家ではないし、政界の裏事情にも疎い。ただ単に、いろいろな発信記事を含む公開情報を読み較べて、妄想推測をしているだけだ。ある記事によると、小池百合子さんは政局勘が鋭い猛女で、なかなか大胆な勝負師であり策士でもあるという。ふ〜ん、そうなんだ。

 解散直後の希望の党の勢いと、自信に満ちた小池都知事の言動を目の当たりにし、官邸内では解散の取り消しを主張する声も出たという。しかし、その後の失速の原因は、小池百合子さんの失策だと言われている。まずは踏み絵を迫り、結果的に民進党を分裂させたが、その後、踏み絵条件を撤回し、さらには在日外国人への参政権付与反対も公約から外した。脱原発など、どんどん民進党色が強くなってしまった。一瞬だけ表面化し、すぐに撤回されたが、選挙後の民進党再結集という「恫喝」によって、当初の強気な姿勢が崩されたのだろうか。どう見ても朝令暮改の無残な姿であり、有権者の不信感を煽ったように見える。

 結果的に、自公連立に対峙するのは、三極化した立憲民主党、共産党、無所属であり、反安倍政権で結集するどころか、野党三党で安倍政権批判票を奪い合う結果になってしまった。まさに共食いである。

 仮に視点を変えてみると、まだまだ予断は許さないものの、安倍政権にとっては政権安定の流れに大きく傾いてしまったのではないだろうか。表面的には、小池百合子さんの失策だという見方が拡がっているが、大胆に妄想してみると、「政局勘が鋭い猛女で、なかなか大胆な勝負師であり策士」である人物が、このような重大局面でそんな見え透いた判断ミスをするだろうか。

 重大な国難のこの時期に直面し、小池百合子さんは国益のために身を挺して悪役を引き受けた、という可能性はゼロだろうか。水面下で、安倍晋三首相と極秘裏に打ち合わせを行い、今日の状況に至るシナリオを描いて、実行したのではないだろうか。いわゆる、「百合子ちゃんの自爆テロ」である。
 そんなことは当人でなければ分からないことだし、口が裂けても言わず墓まで持って行くだろうと思う。そんな馬鹿な、と思われるかもしれないが、ストレス解消のために日々映画で、謀略ストーリーを目にしている私にとっては、あまりにも稚拙な展開にしか映らないのである。小池百合子さんは、政治家として決してそのような「小物」ではないはずで、数年後に振り返ってみたら、なるほどそういうことだったのか、と頷く事実が表面化するような気がする。

 今日は、そんな政局妄想を書くつもりはなかった。モーツァルトの歌劇「魔笛」で歌われる、ザラストラのアリアについて書こうと思っていた。このバス歌手であるクルト・モールの歌唱法に傾倒し、何度も聴いた。

 冒頭で歌われている、O Isis und Osiris(オー・イージス・ウントゥ・オジリス)、In diesen heil'gen Hallen(イン・ディーゼン・ハイルゲン・ハーレン)の2曲は、声楽を習っていた30歳頃、発表会で数回歌った。

 数日前、最初に声楽を習った故・宮本良平先生の奥様である初音先生、弟さんの喜十郎先生、そして息子さんの良樹先生がいずれも他界されていると聞いた。驚くとともに、ずっとご無沙汰していた数十年の歳月の流れを痛感した。

 宮本良平先生は藤原歌劇団で、藤原義江先生と協演された、温厚な先生だった。初めて声楽を習う私に、発声の基礎から丁寧に教えてくださった。移転のため、東京・大田区から川崎に移ったが、宮本良平先生が他界されたので、後輩に当たる坂本博士先生に習い、しばらくしてウィーン留学から帰国された息子さんの坂本秀明先生に教えていただいた。イタリア歌曲やフランス歌曲、イタリア語のオペラ・アリアは多少歌えたが、シューベルトの歌曲「冬の旅」は初めてのドイツ語だった。魔笛ももちろんドイツ語だった。秀明先生も奥様もウィーンに留学されていたので、ドイツ語はお手の物だった。おかげで、ごまかし程度だがドイツ語もなんとか読めるようになった。

 バリトン歌手として高名な(名前がなかなか出てこない)・・・フィッシャー・ディスカウの歌唱法が好きになれず、あれこれ探してクルト・モールに行き着いた。自分で言うのも恥ずかしいが、まだまだ多感な時期だった(と思われる)あの頃がとても懐かしく感じられる。

 こうして、音楽を通じて知り合った方々が一人ひとり視界から消え去って行く・・・。寂しい限りである。しかし、これまでの半世紀以上にわたり、様々な音楽的遍歴はあったものの、常に自分の感性が音楽とともに在ったことは、とても至福なことだと思っている。
 
 オラシオ・フェレールもロベルト・ゴジェネチェも、ある種のだみ声だと思うのだが、いつか私もピアソラの作品をモノローグで語り、また歌ってみたいなどと、またまた無謀な妄想を持っている。しかし、妄想こそが生きる上での原動力になっているのだから、笑って大目に見てやっていただきたい。


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by hirune-neko | 2017-10-16 23:48 | 音楽・映画・本の世界 | Comments(0)
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妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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