ようやくOSINT情報の意味が分かりかけてきた OSINT情報(オシント情報)、すなわちOpen Source Intelligenceが、公開情報を収集し分析する手法である事は以前から知っていた。しかし、ただ単に理屈でわかっているだけでありあまり実感が伴っていなかったように思う。 今日、いくつかのブログを読むうちに・・・とても深く調査している内容だったこともあると思うのだが・・・初めて、本当の意味でのOSINT情報(オシント情報)の手法に接したような印象があった。 最初に読んだブログは、最近政治ブログランキングでかなり順位を上げている、行橋市の市議会議員・小坪しんやさんの記事である。タイトルは「新聞の凋落と「押し紙」【倒産しろ!と思ったらシェア】」 新聞社の販売店に対し、必要以上に部数を上乗せして送りつける「押し紙」問題は、最近かなり話題になった。今現在の最新状況は把握していないが、かつて雑誌の世界にも、公称部数と実売部数という表現があり、広告価格の参考資料としては、公然と公称部数を使用していた。 小坪しんやさんの記事には、この「押し紙」問題が司法と立法では違法という結論が出ており、後は行政・公正取引委員会の対応次第だと書かれていた。 「新聞に明日はない」とか「とりあえず、一社倒産させよう」などという過激な表現が目に付く。 ここ最近は民進党が主導し、いくつものマスメディアが後押しする形で、安倍政権攻撃を行っているように見える。いわゆる、印象操作や世論誘導が露骨に行われているように感じる。新聞社が倒産するとかしないとかという形状の問題はともかくとして、従前から左翼勢力がメディアスクラムの後押しを得て行ってきた、その印象操作や世論誘導が、徐々に効果を失っているのは明らかだと思う。さて、マスメディアがその力を失い、大声でわめき散らしても呆れられるだけだという現実が顕著になった時、彼ら左翼勢力はどのような手段に出るだろうか。そこに興味を持った。私なりの予測はあるが、いたずらに不安感を煽るのは良くないと思うので、書き残す事はしない。 もう一つ興味を持った記事は・・・クリッピングしなかったので見つけることができなかった。内容は、中国共産党の最高レベルのメンバーが習近平派と江沢民派に分かれており、それぞれが暗殺された金正男と金正恩を後押ししているというような内容だった。現在、北朝鮮を囲んでアメリカ、ロシア、中国、韓国、日本がそれぞれの思惑で戦略を練っているのだろう。そのような中、G7で安倍首相が北朝鮮とイラクとの関係、すなわち北朝鮮が開発する様々な小型核兵器や核ミサイルが、イラクなどに売却されることにより、ヨーロッパの危険性も高まるという主旨の話をしたそうだ。それまで、東アジア情勢を遠い場所での出来事と思い、差し迫った危機感を持っていなかったヨーロッパの指導者たちも、どうやら安倍首相の話に耳を傾け、共同声明を発表したようだ。 深く調査し情報を収集している人たちの記事は、とても参考になる。それらの情報をもとに、適切な分析を加えれば、ある程度は正確な未来予測ができるのではないだろうか。今日はそのように実感することができた。私自身は、国際政治や軍事などの基本的なこともよくわかっていないが、それでもどのような構造で世界情勢が成り立っているかが、少しは視野に入るようになってきたと思う。 ただいたずらに不安感を持つ事は良くないと思うし、まるで野球や相撲、プロレスの観戦をするかのように感情的に現状をとらえることも、感心しないと思っている。 しかし、いろいろな技術を組み合わせて将来を展望するなら、信頼できる確かな情報元の必要性を痛感するだろう。また、良い意味での慎重さと用心深さも育つだろう。不確定要素が見えてくれば、自給自足生活を少しでも長く続けられるように、備蓄の必要性も感じるだろう。さらには、世界的に様々なリスクが高まっているこの時期に、日本の将来を託せる政治家や政党は・ ・ ・という現実的な判断力が必要なことも実感するだろう。 国が軍隊を動かして宣戦布告し、武力衝突するにはそれなりの覚悟が必要だし影響も大きい。しかし、人ごみに紛れた無差別テロ等は、可能性から考えれば非常に高いと思う。どのような種類のテロがどのような場所で行われる可能性が高いか、そのような視点で自分の住む街を見てみれば、安全性が高くなるのではないだろうか。 私自身は、国会議員のように大局的に国の将来を考えたり、あるいは国際政治の場での動き方について考えることができない。しかし、一国民としての目線で、様々な危機を予測し対応方法を考えるのは可能だと思う。 同じように考える国民が、一人でも多く増えるならば、ある種の民間防衛力が高まるのではないかと考えている。そして、日本人には危機に直面したときに、一致結束し対応できるDNAが受け継がれていると考えている。 明日は午前中から、学会で初めて「村上春樹論」を日本語で発表する、ニュージーランド人の方と会う。オリジナルの英文、彼が翻訳した日本文、私が途中まで推敲した日本文を読み比べる。彼にとってはせっかくの晴れ舞台なので、学会の皆さんが感心するような発表をしてもらいたいと思う。急に依頼が来た話だが、私もこれまでに色々と英訳をお願いしているので、何とか応援したいと思う。
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by hirune-neko
| 2017-05-30 01:50
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・1951年
小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。 ・1969年 中央大学経済学部入学 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。 ・1974年 同大学卒業 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。 ・2006年 現在に至る プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。 ・2010年 宇宙の旅 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。 ・現在 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。 お気に入りブログ
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