昼寝ネコの雑記帳

母の遺品


Julia Zenko Chiquilín de Bachín


いつもクリックを有難うございます。励みになっています。



 早いもので、来月の20日が母の1周忌である。

 14歳のときに父親が病死し、4人の弟や妹のために学業を断念した。生活のため、母親と一緒に小さな店を始め、仕入れのために坂道をリヤカーで往復することが日課となったという。北海道の地方都市にあった、製鋼所の工場長の娘が、一転して、母親と一緒に小さな店を切り盛りする人生になってしまった。

 母の遺品の主たるものは、ノートやチラシの裏に書きためた短歌である。ケアマネージャーとして最後まで寄り添ってくれた方が、お姉さんに頼んで手書きの短歌を清書してくれた。全部で2,000首以上はある、と報告を受けている。今は、清書された短歌をケアマネージャーの息子さんが、テキストデータ化してくれている。

 どのような章構成で編集するかは、これからの課題だ。1年もあれば出版できるだろうと考えていた。お世話してくださった皆さんも、それを楽しみにしている。しかし、もう残すところ1ヵ月になってしまったので、大幅に遅延するだろうと思う。しかし、なんとか出版にこぎつけたいと思っている。

 生前の母は、人生の苦難のはけ口として作った短歌なので、人に見せるようなものではない。自分が死んだら、処分してほしいと言った。それに対し私は、本として形あるものにすると言った。反論の言葉はなかった。

 昔の人なので、自分で工夫し味噌やごま、赤紫蘇など十数種類の材料をすり鉢で練り込み、とろ火で丸一日以上かけて作っていた。おりにふれて私のもとに送ってくれていた。冷蔵庫にかなりの量が残っている。同居している94歳の義母は、徐々に食欲が失われている。その義母が毎食事ごとに希望するのは、その味噌と小粒らっきょうである。少しは食が進むらしい。

 人が一生を終え、遺品として残すものには様々なものがあると思う。汎用性のある預貯金や貴金属、不動産などの資産は、ある時には残された家族にとって貴重なものだと思う。しかし、心の中で折々に紡がれた文章や短歌は、お金で買うことのできない貴重な遺産だと思う。

 18歳のときに北海道から上京し、それ以来ずっと東京や神奈川で過ごしている。時々は帰郷し、母と短い会話を交わす事はあったが、ほとんどは電話のやり取りだけだった。したがって、母を1人の独立した人格として、客観的に捉えてはいないと思う。ただ、母親として自分を守り育ててくれた、という側面しか記憶に残っていない。

 当たり前のことだが、人間としてあるいは女性として、人並みに様々な葛藤があったに違いない。子供の私にそのような話をするはずがない。したがって、遺品となった短歌を編集する過程で、おそらくだが、私は見落としていた母の別の側面と出会うことになるだろう。

 今の時代ならば、毎日少しずつブログに作品を遺すこともできただろう。80年近く前に作り始めた短歌なので、全てが手書きの原稿である。

 このようにほとんど毎日ブログ記事を書く自分は、その折々の心象を文章で残しているが、最期に振り返ると、ある種の遺言になっているのだろうと思う。誰でも自分の人生は、言い尽くせず語りつくせないものだと思う。

 しかし、かつての母が折々の素直な気持ちを短歌に託したように、私自身もその日その日の思いを、文章にすることで心を整理し、また重荷を下ろしている。これも皆、読んでくださる読者のみなさんの存在が、大きな励みとなっている。改めて、連日お越しくださり読んでくださる皆さんへの、感謝の気持ちを新たにしている。

 冒頭の曲は、ピアソラが作曲した「チキリン・デ・バチン」という曲である。記憶に間違いがなければ、作詞はオラシオ・フェレールのはずだ。このタイトルを直訳すれば、「パチンの小僧」なるはずだ。パチンとは、ステーキレストランの名前であり、そこに花を振りに来る、知恵遅れの孤児の男の子を歌った内容だ。

 住む家もなく荷車の下で雨露をしのぎ、パンを得るために、市場で売れ残った花をもらって、レストランで売っている。花が売れなかったときは、教会に行きパンをもらっていた。ある日教会に行っても誰もいなかったため、男の子は空腹を抱えながら荷車の下に戻った。翌朝、男の子は冷たくなった身体で見つかった。男の子を知る人たちは、この子は天に召されたといった・・・というのが、歌詞の内容である。

 改めて、タンゴ界の反逆者と言われたピアソラもフェレールも、この地上で最も小さな存在に、心の視線を向けていたのだと思う。

 人間の心は目に見えない。しかしその中は無限に広く、底がないほどに深い。目に見えないが故に、心で感じることしかできない。残念なことに、心で感じることを忘れ去ってしまった人たちが、たくさん存在するように思う。私自身も、自分の心で感じることを大事にしたいと思うし、同時に少しでも多くの皆さんに、何かを心で捉えていただきたいと願っている。


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by hirune-neko | 2017-04-22 02:37 | 心の中のできごと | Comments(0)
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妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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