昼寝ネコの雑記帳

無名の人間が遺す価値ある資産

Astor Piazzolla - La famille


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 急に決まったことなので、すでに先約があった長男だけは来られなかった。三男家族が5年間の富山での生活を終え、無事に大学を卒業して東京近郊にあるお嫁さん の実家に引っ越してきた。しばらくは居候の身である。

 5年間の学生生活を無事に終え、医師国家試験にも合格し、勤務先の病院も決まった。今日はそんな三男家族の慰労会を催した。私たち夫婦と次男夫婦、それと一番下の娘も駆けつけてくれた。

 三男は学生結婚をし、卒業後就職をしたが、まもなく女の子が生まれた。3年間勤務したが、どうしても医師への道を目指したいという考えを捨てきれず、妻子ある身で職を辞し、医学部を目指して学士入学した。在学中にもう1人女の子が生まれ、今日の慰労会には、その二人のまだ小さい娘たちもやってきた。久しぶりの対面だった。

 お嫁さんも実によく協力してくれたし、実家のご両親もずいぶん通って支援してくれた。しかし、三男は学費を免除され、奨学金を得てアルバイトもしながら生活を維持した。かなりハードな生活だっただろうと想像している。

 あと数日で、ある大学附属病院で研修医としての仕事が始まる。人生の大きな転機を、無事に乗り切ったと思うので、親としても嬉しいし労をねぎらってやりたいと思う。

 兄夫婦と妹に会い、楽しそうに歓談していた。私は壁際に座り、いつの間にか居眠りを繰り返したので、話の輪に加わることはできなかった。

 娘が私の隣に座ったので、向かいの席に座っていた次男に頼み、娘とのツーショット写真を撮ってもらった。そのとき娘は何と言ったか。「お父さんブログにアップしないでよ」、と言われてしまった。依然として、私のブログは娘の監視下にあるらしい。

 帰り際に、二人の孫娘を両脇に抱え写真を撮ってもらった。帰宅してから娘との写真、孫娘たちとの写真それぞれを写真光沢紙に印刷してみた。最近の携帯はカメラ機能もなかなか高度であり、とても大きく鮮明な画像だった。プリンターから出てきた印刷物を眺め、改めて自分自身がそれなりの年数を生きてきたのだと自覚した。

 いろいろな事情で、結婚できない人もいる。結婚しても子供を持てない夫婦もいる。事故や事件、あるいは自然災害で家族を失う人もいる。何十年も結婚生活を送り、孫を持つ年齢になってから、離婚の道を選ぶ夫婦もいる。

 改めて、いつか人生を閉じるときに、何が最も価値のある資産だと考えるか、と自問してみた。

 この年齢まで生きてくると、他の様々な人たちの人生の終盤を目にしている。家族同士が最後まで信頼関係を維持し、お互いに思いやりと大切にする気持ちを持てるならば、個人的にそのような関係が人間の一生の中で、最も価値のある資産だと思う。そのような確信を持っている。

 ホームで帰りの電車を待ちながら、次男のお嫁さんが言った。三男はとても努力して立派な業績を残した、彼女はそういった。そこで私は即座に答えた。

 「確かに社会人になってから医学部に入り、家庭を持ちながら苦学し、無事に卒業して医師国家試験にも合格したことは、賞賛に値すると思う。誰にでも理解しやすい、目に見える業績だと思う。でも、人の目に触れないところで地道な努力をし、苦労しながら使命感に支えられて研鑽を重ねる人たちも、ある意味では同等以上に立派な生き方だと思う。」

 私はそのように言った。彼女の夫である次男は、長年にわたり厳しい仕事環境であるにもかかわらず、不平不満を言わず、私の仕事をずっと手伝ってくれている。そんな次男の心情を思い、人の目には触れない努力を称賛したかった。

 私の仕事人生のここから先はいよいよ、刈り入れの時である。一般的な尺度からすれば、売り上げ規模や財務状況が会社としての成功の判断材料になるだろう。しかし、私たちの場合は優先順位が異なる。様々なマーケティング手法から見ても、一体どこで売り上げや利益が発生するのか、と異端視されるに違いない。そのように思われても結構である。

 人間の人生で、最も価値があるものは何かを知ることができるのは、おそらくは晩年になってからではないだろうか。その意味で、私は普通よりは早熟だったかもしれない。仕事も同様で、一般的には目先の売り上げや利益を生むマーケティング手法がもてはやされている。しかし、人生の途中で何が起こるのかを予測するのが難しいように、社会環境、経済環境、国際情勢などが、いつどのような変化をもたらすか予測をするのはなかなか困難だ。その変化も、想定しなかったようなものであれば、どれだけ盤石と思われた販売網であれ、あるいは商品力であれ、あっという間に色褪せて無価値になってしまう可能性だってある。

 社会情勢の劇的な変化が起きたとしても、廃れずに、多くの人が必要とする要素はなんだろうか。それが私たちのキーワードである。

 私自身が抱いている小さな野望は、自分のために遺したい遺産であり、家族に遺したい遺産であり、親しい友人たちに遺したい遺産であり、そして少しでも多くの方々のために遺したい遺産の形成である。抽象的な表現なので意味不明だとは思うが、金銭や財力という尺度に束縛されず、理念や理想あるいは希望などを、目に見える形で顕在化させることができれば、それはとても有意義なことではないだろうか。

 頭の芯がすっかり疲れていたので、不覚にも居眠りを続けてしまったが、おかげで今、脳内はすっかり晴れ渡っている。

 相変わらず意味不明で、抽象的な表現に聞こえるかもしれないが、私自身の内部では具体的なイメージが像を結んでいる。


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by hirune-neko | 2017-03-30 02:04 | 心の中のできごと | Comments(0)
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妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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