昼寝ネコの雑記帳

長い地下生活を終えて、地上に戻るとき

Astor Piazzolla - La famille


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 ドストエフスキーの作品に「地下生活者の手記」というのがあるのを知ったのは、学生の頃だった。おそらく、読んでいないと思う。しかしその重苦しいイメージのタイトルは、数十年経った今でも鮮明に覚えている。暗く、冷たく、ジメジメとした深い地下空間で、陽の当たらない暗鬱な生活を強いられていたのだろうか。
  そのような人が解放され、地上に出て生活していいと言われたら、そして急で長い階段のはるか先に、地上への出口の明かりを見上げたとしたら、どのような気持ちになるだろうか。

 今日の午後、仕事の打ち合わせで渋谷の事務所に向かった。地下鉄を降りてどの出口が1番近いが、地図で確認した。16番出口だった。改札口からは最も離れた場所だった。随所に出口の番号が表示されていたので、比較的容易に辿り着くことができた。

 そこで目にしたのは階段であり、エスカレーターはなかった。やれやれと思って見上げたら、出口は遥か彼方だった。一瞬、全身から力が抜けた。こんなに長い階段を上った事はない、と気持ちが萎えてしまった。しかし今更引き返すわけにもいかず、階段をゆっくりと上り始めた。

 意識的に無理せず、ゆっくり上り始めたのだが、徐々に足の筋肉が疲労を感じ、自然にペースダウンしてしまった。一体何段あるのか、記憶に留めたかったので、一歩一歩、数えながら上った。100段まではなかったが、98段だったろうか。やっとの思いで地上に出ることができた。

  もし建物の階段だとしたら、いったい何階まで上がったことになるのだろうか。足はガクガクになり、地上で少し息を整えた。しかし、道路を渡ろうとしたら、横断歩道がなく、目の前の横断歩道橋を上らなくてはいけなかった。後ろからは若い人たちが次々と、颯爽とした足取りで私を追い抜いてゆく。スローペースで、しかもやっとの思いで階段を上る年寄りに向けられた、憐れむような視線を感じた。途中で一息入れたかったのだが、約束時間までもう数分しかなく、歩き続けるしかなかった。

 結局は、130段ほどを上っただろうか。 普段のトレーニング不足を、しっかりと自覚することになった。

 打ち合わせは、比較的短時間で終わった。再び地下鉄に乗り自分の事務所に帰ろうと思ったが、最寄りの駅を降りたところで心臓に力が入らず、脳貧血の症状が出てしまった。軽い心不全なのかな、と心配になった。どこかに座りたかったので、やむを得ず駅前のケンタッキー・フライドチキンに入った。そんな症状なので、何も食べたくはないし飲みたくもない。ビスケットとコーンスープを頼んで、椅子に腰を下ろした。結局は、おいしく食べることができた。

 会員制「みるとす」との提携の相談で行ってきた。情報提供のコンテンツの内容見てから検討したいと言われたので、事務所に戻ってから比較的長いメールを送り、ゲスト用のログイン・メールアドレスとパスワードを伝えた。確認したら、ニュースレターのWeekly・みるとすは、準備号の創刊がちょうど1年前だった。匿名希望の皆さんが、お忙しいところ時間を割いていろいろ調べてくださり、情報提供をしてくださったので、何とか形になってきていた。

 相手の方とのやり取りで、一部のマスメディアにとっては目障りな団体になると思います、と言った。特定の政党や政治家あるいは法案に対して、誘導するような考えは無いことも伝えた。あくまでも、国家安全保障の視点から、なおかつ公開情報の中から懸念される情報を選んで発信する、という基本コンセプトを伝えた。

 厳密に言うと、商談ではないのだが、でもある意味では商談には違いないだろう。普通は、相手の顔色を見ながら如才なく振る舞い、何とか提携に持ち込もうと努力するのだろう。しかし私の場合は、完全に旗幟鮮明なスタンスで臨んでいる。もちろん、事前に相手の政治的な背景を探りながらコンタクトをしている。こちらとしては、相手がどのような好条件を出したとしても、基本的な理念やコンセプトを曲げる事はできない。ご縁がないようですね、ただそれだけのことである。そうしなければ、私たちを信頼して登録してくれた会員の皆さんを裏切ることになってしまう。国家反逆罪ではないものの、会員のみなさんに対する反逆罪になるという認識をしている。

 もちろん、相手に失礼になるような言動はしない。しかし自分の信念に基づいて意見を言えるというのは、とても恵まれていると思う。逆に、信念に基づいてことを進めなければ、意味のないプロジェクトになってしまうとも思っている。

 まだ、正式な公開前だというのに、すっかり舞台裏の様子を公開してしまっているが、これもご愛嬌だと思っていただきたい。

 夕方過ぎに40分ほど歩いたせいか、心臓の調子は快復したようだ。次男の助言で、Fitbitなるものをアマゾンで調べてみた。脈拍数や歩いた歩数、歩いた距離などをiPhoneと同期していつでもチェックできるらしい。一瞬、心を動かされたが、これ以上常に何かを気にする案件を増やすのも、精神衛生上よくないのではないかと考え、否定的な方向に傾いている。

 ある意味では、地上の喧騒を逃れ、地下深いところで静かに妄想しているようなものかもしれない。なので、たまに実社会に出ると心身ともに疲労するのではないかと思った次第だ。


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by hirune-neko | 2017-02-15 23:44 | 心の中のできごと | Comments(0)
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妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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