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昼寝ネコの雑記帳

創作短編「クリスマス・イヴの夜の不思議な夢」


Kathleen Battle - Pie Jesu - Requiem - Gabriel Fauré

いつもクリックしてくださり有難うございます。とても励みになっています。

アメリカ・サンフランシスコ。
コンドミニアムの窓から、ゴールデン・ゲイト・ブリッジを
遠く眺望することができる。

ニューヨーク・フィルハーモニーを定年退職したとき、
日本に帰国することも選択肢としてはあったのだが、
数十年を暮らしたアメリカのライフスタイルが染みこんでしまい、
日本に帰って生活することは、すでに億劫になっていた。
しかし、自分にとっては人生の大きな転機なので、
思い切って気分転換を兼ね、東海岸から西海岸に転居し、
そこで女一人の余生を送ることにした。

ロス・アンゼルス、ポートランドなど何カ所か候補地はあったが
最終的に、ここサン・フランシスコを選んだ。
ずっと以前、オーケストラの演奏旅行で訪れたとき、
ゴールデン・ゲイト・ブリッジと周辺の公園が
とても印象的だったからだ。
住んでみると、東海岸に較べ近所の人たちは皆オープンで、
やはりサン・フランシスコにして良かったと思う。

ニューヨーク・フィルの年金があるので、生活には困らなかった。
しかし、一人きりの老後を考えると、介護棟を併設してる
コンドミニアムがあるというので、ここに決めた。

定年後、早いもので15年が過ぎ去ろうとしている。
新しい曲に取り組む苦しさも、演奏旅行の刺激に満ちた
緊張や仲間との歓談からも、すっかり遠ざかってしまった。

東京での若い頃の私の演奏が、ニューヨーク・フィルの
プロデューサーの目に留まり、あっというまに入団が決まった。
当時の私にとっては、夢のようなお話だった。
父親のいない小さな娘を両親に預け、渡米することにも
躊躇の気持ちを感じなかった。
せめて1年は、という考えだったが、自分の才能と可能性を
究めたいという気持ちが強く、結局はずるずると
定年まで在籍することになってしまった。

日系の団員は数人いたが、純粋の日本人演奏家は私だけだった。
ヴァイオリン奏者として、どこまで通用するか。
日々、演奏との格闘だったため、徐々に視界から
消えてしまっていた他のことを、人生の晩年で思い起こしている。

両親からは、娘の誕生日や入学式など、折に触れて
写真が送られてきたので、外見上の成長は把握していた。
自分を日本に残し、渡米したまま帰らない母親を、
娘はどのように受け止めていただろうか。
決して赦してくれてはいないと思う。
ある種の野心で、たった一人の娘に犠牲を強いてしまった。
時折、悔悟の気持ちに苛まれることがあったが、
連日、音楽と格闘する演奏家に戻ってしまうと、
いつの間にか、そんな気持ちはどこかに消え去ってしまった。

定期的に診察に来てくれる医師から、
心電図に問題があると告げられたのは、数ヶ月前だった。
急に激しい運動をしないよう、またアルコール類を控えるよう
注意を受けた。
考えてみたら外出などせず、いつも窓から飽きもせず
ゴールデン・ゲイト・ブリッジを眺めていた。
極度の運動不足で、健康にいいわけがない。

それ以来、自分の人生で初めて、余生がどれぐらい
残されているかを意識するようになった。
と同時に、自分の人生で何かやり残していることはないだろうか、
と自問するようになった。

両親はすでに他界している。
奔放でわがままな娘だと、私の生き方に、半ば呆れていただろう。
娘はすでに結婚し、3人の子どもを育てている。
日に日に娘のことが頭の中を占めることが多くなった。
母親として何もしてやることができなかった。
産み落としてそのまま放置したようなもので、
動物以下ではないか、と非難されても抗弁はできない。
娘が家庭を持ち、家族とともに平穏に暮らしている、
と知ることができて、自分の罪悪感が少しは鎮まったように思う。

しかし、日に日に娘のことを考える時間が長くなった。
もしかしたら、娘は人間不信の気持ちを心深くに刻まれて
しまっているのではないだろうか。
子どもの頃の孤独感が、今でも影を落としているのではないだろうか。

ある日私は意を決し、娘に対する私の正直な気持ちを書き、
手紙で送ることにした。
数時間ではとても書けるものではなかった。
途中で、あまりにも弁解じみていると感じ、破り捨てて書き直した。
結局、10日がかりで分厚い手紙を書き終えた。
航空便で送ってから、すでに1ヶ月近く経ったが、返信はない。
でも、娘へ詫びる気持ちと、自分の人生を振り返っての
悔悟の気持ちを・・・つまり、演奏家の道を一時的に中断しても
自分が産んだ娘を自分の手で、育てるべきだったという
悔悟の気持ちを伝えられたので、重く沈殿していた罪悪感は
かなり軽くなったと感じている。

12月も中旬を過ぎ、地元の教会の聖歌隊がキャロリングに
訪問してくれた。
演奏家としてではなく、一聴衆として音楽を鑑賞した。
地元の小学校の生徒が小さなクリスマスツリーを作り、
私の部屋にも持ってきてくれた。
今年のクリスマスは、いつもと違う神聖で特別な気持ちで
迎えることができた。

症状が軽度なので薬は処方されなかったのだろうが、
ここ数日、少し息苦しい日が続いている。
人生の残された時間が頭をよぎる。
しかし、私が息絶えたとしても、施設や市役所の職員が
事務的に埋葬を済ませ、身の回りのものを処分してくれるだろう。
アメリカには親類縁者もいないし、かつてのオーケストラ仲間とも
疎遠になってしまっている。
誰も私の死を知る人は存在しない。

そう考えると、苦しまずに眠るように息を引き取ることができれば
平安な人生の終末だ、と考えられるようになっていた。

今日はとうとうクリスマス・イヴになってしまった。
テーブルの上に飾られた小さなクリスマスツリーを眺めながら、
いつの間にか眠りについていた。
部屋の中も外も、静けさに包まれていた。

ふと目が覚めると、何やら異変を感じた。
部屋の天井近くから、私は自分自身の寝姿を見下ろしている。
一体何が起こったのだろうか。
状況が飲み込めず、呆然としていたとき、
ドアが開いて明かりが点けられた。
落ち着いた雰囲気の、母親らしい女性が
十代の3人の女の子を連れて、部屋に入ってきた。
日本人のようだ。

良くみると、写真でしか見たことのない我が娘だった。
娘たちは私のベッドを囲み、娘は3人の女の子に声をかけた。

「お前たちのおばあちゃんよ。ヴァイオリン奏者だったの」

3人の女の子たちは何もいわず、ただ黙って私の寝姿を見ていた。
突然、娘が嗚咽を漏らした。
こらえきれず、私の身体の上に身を預け、
「お母さん、会いたかった・・・」
そういうと、娘は声を上げて泣き出した。

目の前の光景が夢なのか、あるいは私の訃報を知らされ
はるばる日本からやってきてくれたのか、
私には判然としなかった。

しかし、永年にわたって抱き続けてきた悔悟の念や罪悪感からは
解放され、神聖で平安な気持ちを感じることができた。
ずいぶん前に演奏した、フォーレのレクイエムが
静かに流れていた。

【創作メモ】
知人女性がモチーフです。もちろん、設定は全然違いますが、
遠く異国の地で一人で暮らしているであろう彼女のことが思い浮かび、
短編作品の主人公として登場してもらいました。
音楽はいろいろ迷いましたが、フォーレのレクイエムの、
この楽章が一番合っているように思います。
恥ずかしながら、書きながら私自身が落涙してしまいました。
笑い話のような私の情景になってしまいましたが、
この短編は、その知人女性に献呈したいと思います。

ついでながら、創作作品は書こうと思ってもなかなか書けません。
あるモチーフがイメージを伴って脳内に浮かぶと、
そのイメージを文章化するだけなので、苦になりません。
最近は遅延案件に苦しめられていましたが、
明日はクリスマス・イヴですので、自分自身の思い出として
残したいと思い、手がけた次第です。


いつもクリックしてくださり有難うございます。とても励みになっています。
by hirune-neko | 2016-12-24 00:19 | 創作への道 | Comments(2)
Commented by 日本晴れ at 2016-12-24 00:57 x
お疲れ様です。

久々の短編小説、クリスマスの素敵なギフトとして読ませて頂きました。 有り難うございます!

Holy Christmas らしい神聖な内容で、胸にズキンときました。

書籍版の次作まで、待ちきれません。
お仕事が落ち着かれたら、どんどん素敵な小品や旅情溢れるエッセイを楽しみにしております!
Commented by hirune-neko at 2016-12-24 01:28
日本晴れさん

早速のコメントを有難うございました。
自分自身が感動しないと、作品を形にできないんですが、
最近は遅延案件に追われ、創作どころではない状態でした。
今日は、なんとか一作仕上げることができました。

でも、こうして評価してくださる読者の方の存在が
一番の張り合いになっています。
いつか、まとまった時間を確保して、もう少し量産できるといいなと
いつも考えています。

有難うございました。
<< まるでパソコンにからかわれてい... 食への不信が募ってしまった >>



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在

by hirune-neko
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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