昼寝ネコの雑記帳

ブログ書き始めるとほっとできる


Astor Piazzolla - Remembrance

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もしこれが、純粋な政治ブログだったとしたら、
絶えず目新しい話題を追いかけなくてはならず、
かなり負担が大きいだろうと思う。

その点、気ままに思い浮かんだことを書き連ねるエッセイなので、
文字通り脳内に浮かんだイメージを、そのまま書けるのは
精神的にも負担が少ない。
少ないというよりは、逆に一日の脳内疲労の
クールダウンになっているので、選曲し書き始めると、
ほっとすることができる。

昨日、札幌で母のケアマネージャーをしてくれた女性から
連絡があり、母が書き遺した短歌の清書が終わったそうだ。
今日、改めて電話で様子を聞いたところ、全部で1,000首ほどの
量ではないか、とのことだった。

息子さんがテキストデータ化してくれるというので、
お願いすることにした。

来年の5月が一周忌になる。
編集作業が一番時間を要すると思うが、さて、どのような
編集方針にしたらいいだろうか。

単なる遺作集であれば、ある意味ではそのまま出版すればいい。
13歳で父を亡くし、長女だったため学業を断念した。
翌年、14歳の時に列車のはす向かいに座った男性に
父親の面影を見て、初めて短歌を作ったそうだ。
それ以降、心の中の苦しみや辛さを織り交ぜて歌を作るのが、
心の負担を軽くする唯一の方法だったはずだ。

私は、ほんの一部しか目にしていないので、イメージが浮かばない。
約90年間の人生を振り返り、自分の人生はずっと不幸だった、
と面と向かっていわれたのは、死のおよそ5ヶ月前のことだった。
私がもっと何かしてやっていたら、不幸な人生だとは
思わなかったのだろうか。
母親から本音をいわれてしまい、返す言葉がなかった。

やがて、徐々に歩けなくなり、ついには寝たきりになってしまった。
電話で普通に話すことができたのは、幸いだったと思う。
ウェブカメラで、日に何度も様子を見ることができたのも、
今にして思えば良かったのだろう。

最終的に、ヘルパーさん以外に17名のボランティアの
女性たちが交代で親身にお世話をしてくれた。
亡くなる1ヶ月ほど前だろうか、電話の向こうで
嗚咽しながら、ずっと不幸な人生だと思って生きてきたが、
今はとても幸せだと思う、といってくれた。

人間が人生の最期を迎えるときは、何を考えるのだろうか。
銀行の預金残高が巨額であれば、その人は幸せな人生だったと
薄れる意識の中で、そう思えるだろうか。
血のにじむような苦労を重ね、巨万の富を築いたとしても、
死んで次の世界に持って行けないことを実感するだろう。
元気なときは、富や地位、財産は安心感をもたらし、
あるいは名誉欲を満たしてくれるかもしれない。
しかし、人間が最期に必要とするのは、遺骨となった
自身を埋葬するに必要な、いくばくかの土地だけだ。
すべては両手の指の隙間から、空しく漏れ落ちていく。

母の場合は、周りのボランティアの皆さんから、
真心からの親切さを全身で受け止めることができた。
安心して心身を委ねられる存在が、身近で護ってくれた。
人間の最期に、これ以上の理想的な環境があるだろうか。

苦しみを詠んだ歌ばかりだから、人に見せるようなものではない。
自分が死んだら、すべて処分してもらいたい、と生前の母はいった。
しかし、本心は違ったと思う。
遺作となった短歌を焼却するのも、一冊の本として出版するのも
私の自由にさせてもらう、
そういったら、母は否定せず微かに微笑みを浮かべた。

作品そのものは母によって編まれたことは間違いない。
しかし、死後から出版に至るまでのプロセスには、
文字通り、何人もの皆さんの厚意と友情の支えがある。

編集者として、昼寝ネコの名前を出そうと思う。
昼寝ネコの実母の、生涯を通して作り続けた作品と、
多くの皆さんの理解、協力、関心、親切、友情によって
出版化される希有な形態なので、皆さんの役割とお名前だけの
紹介にとどまらず、ちょうど墓石に刻む碑文のように、
思い出に残るひと言も一緒に収録したいと考えている。
皆さんの人生のあるときの出来事を、皆さん自身の
心の中に刻んでほしいと思う。

母をずっと身近な存在として見ていた、唯一の存在である私が、
最期まで真っ直ぐに生きた母への勲章として、
なんとか刊行にこぎ着けたいと思う。

書く内容を考えず最初に選曲したが、ピアソラの
「思い出〜Remembrane」という曲に導かれるような
内容の文章を書いたなと思う。
音楽の持つ影響力に、改めて感心している。

母に送ったブロンズ製の「猫の給仕役」は、今でも
母の骨壺の横で、何もいわず寡黙に仕えてくれている。
高輪の美術館で見つけ、あまりのユニークさに惹かれて
レプリカを購入して良かったと思う。
母も思いがけない私の分身を手にし、嬉しそうにしていたのを
今でもよく憶えている。

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by hirune-neko | 2016-12-19 01:54 | 心の中のできごと | Comments(0)
<< なぜ、この人のCDを持っている... 居酒屋で歓談していると、世の中... >>



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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