昼寝ネコの雑記帳

なりすまし名で、不思議なメール交流が続いている


SOUNDTRACK CINEMA PARADISO - ENNIO MORRICONE

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この5月に他界した母には、旧い付き合いの女性が何人かいた。
かれこれ20年にはなるだろうか。
自然と、私自身も知り合いになった。

最後の最後まで、交代で見舞ってくれたり、
食事を差し入れてくれたり、親身に励ましてくれた。

自分の人生は、ずっと不幸だったというのが
母の口癖だった。
生まれた時から18歳の時まで同居していたので、
ある程度は理解しているつもりだ。

今年の春先に、とうとう寝たきりになってしまったが、
頭と口は達者だったので、日に何度かは電話で話した。
内緒でウェブカメラを設置したので、部屋の様子や
来訪者は、ほぼ把握していた。

寝たきりになった数週間後、母が電話の向こうで
嗚咽しながらいった。

「私の人生はずっと不幸だったけど、今は幸せだよ」

仕事として世話をしてくれたヘルパーさん、訪問看護の皆さん、
訪問医療の皆さんにも、とてもお世話になった。
しかし、旧い友人たちとその知人を合わせると、
全部で17人の人たちが、ボランティアで母を支えてくれた。
義務感からではなかったので、心の交流があったのだろう。

最期の最期に、自分の人生が幸せだったと、
心から思えた母は、ある意味で本当に
幸せだったのではないだろうか。
そんなに苦しまず、孤立感を持たず、安心して死地に
旅立ってくれてよかったと、改めて思っている。

数ヶ月前、母の旧い知人女性の一人が、北海道から
「食用ハマナス」を送ってくれた。
手紙が添えられていた。
毎年時季が来ると、自宅の庭から採取して
母に届けてくれていたようだ。
今年のは酸っぱいとか甘いとか、そこは北海道の女性らしく、
ストレートに感想を伝えていたらしい。
母が他界したため、恒例のやりとりがなくなり、
寂しいとも書かれていた。

母のメールアカウントは私が管理していたので、
母になりすまし、母の名前でお礼のメールを送った。
それがなりすましメールの始めだった。

母の後始末が一段落した頃、お世話になった女性たちに
お礼で何かを送ることにした。
あれこれ考えた末、鎌倉名物の鳩サブレを選んだ。
母の名前で皆さんへのお礼の文章を書き、同封した。
皆さんは地元の教会の会員だったので、
「聖霊が鳩のように降ったという表現がありますが、
霊界から鳩は送れないので、代わりに鳩サブレを送ります」
と書いて、結びの言葉とした。

今朝、その食用ハマナスの方から、北海道産の
ジャガイモとカボチャが届いた。
母の誕生日には、いつもこうして何かを
持って行ってくれていたそうだ。
早速、母の名で母のメールアカウントから、
お礼のなりすましメールを送った。結びの言葉は、

「息子は、まだ納骨してくれないし、喪中葉書も
送っていない。ここまで親不孝だとは思わなかった」

するとほどなく返信メールが届いた。
メールを読んで、思わず笑ってしまった。

「喪中葉書は要りませんので、お母さんの名前で
年賀状を送ってください」

母がまだ生きていて、一緒に同じ空気を吸っていると
感じている、とも書かれていた。
人生の最期まで、そして死してなお、心の交流が続いている。
希有なことではないだろうか。

そんなある種の清々しい感情とオーバーラップするように、
隣国の女性大統領の、政治家としての最終章が視野に入る。
歴代大統領同様に悲惨な結末を迎えるのか。あるいは
一部で報道されているように、戒厳令を発効させて
反対勢力を武力で押さえ込もうとするのか、目が離せない。

聖域かと思われていた天下の電通に、強制捜査が入ったそうだ。
にわかには信じられないが、明らかに政権から危険視され、
入り口は労働環境問題なのだろうが、文字通り、
反日勢力の牙城に巣くう影響力を排除しようという、
政府の決意が後押ししての、その第一歩だとしか考えられない。

人間の営みは多岐にわたる。
しかし、個人の生き方や主義主張と別の領域では、
常に国家安全を脅かす動きが、24時間休みなくうごめいている。
一人でも多くの国民が、できるだけ的確な現状認識を行い
自らの生活を守るためにできることを、認識すべき時代なのだろう。

今私たちは、明らかに日本の分水嶺に立っているのではないだろうか。


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by hirune-neko | 2016-11-26 22:12 | 心の中のできごと | Comments(2)
Commented by きいろ香 at 2016-11-27 08:56 x
おはようございます。

お母様のお名前で届いた鳩サブレ、贈られた方々は驚かれたと同時にさぞ喜ばれたでしょうね。
私も母が亡くなった時に、そんな機転が利けば良かったなぁと、読んで思いました。

先日、キューバのカストロ前議長が亡くなりました。
共産主義者は大キライですが、この人は無私の愛国者という点で、尊敬に値する指導者だったと思います。
某掲示板でも「赤ではなく白い共産主義者」と評している人が居ましたが、正にそんな印象ですね。
隣りの北側の人なんかと、ついつい比べてしまいます。

米国との国交回復を見届けてから逝ったのか、とにかく一つの時代が終わった感があります。

供養として、キューバの音楽を聴いてみました。

COMPAY SEGUNDO - Guantanamera

https://m.youtube.com/watch?v=9QO4aegj-jA
Commented by hirune-neko at 2016-11-27 20:13
きいろ香さん

コメントをありがとうございました。

母の名前で書いた手紙を受け取った何人かの人たちが、泣いていたと聞いています。
いつの間にか私は、女泣かせになっていたんだなと思いました。

白い共産主義者とは、面白い表現ですね。でもなんとなくわかるような気がします。
この曲を聴いてみましたが、キューバの歌等は何も知らずに聴いていました。
キューバン・ルンバと言うぐらいですから、ルンバの国でもあるのでしょうか。
その辺は私にはよくわかりません。

急に寒くなってきましたので、健康でお過ごし下さい。
ありがとうございました。
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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