昼寝ネコの雑記帳

人生の節目のひとつを、なんとか無事に通り過ぎた


行かないで 玉置浩二 シンフォニックコンサートin香港

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Facebook友だちの女性から、慰めの言葉と音楽が届いていた。
もともとは、すでに他界されたコロンビアの福岡貞男さんの
Facebook友だちだった方だ。

母にとって、私が「めんこい」子どもだったんだ、と書かれていた。

恥ずかしながら、玉置浩二という名前は記憶にあったものの、
歌を聴くのは初めてだった。
さらには、このような感情移入、そして個性的な発声の歌手が
存在するとは、正直いって驚きだった。
おそらく、笑われてしまっていると思う。

火葬場が、友引のときは閉まっているとは知らなかった。
明日の月曜日は友引なので、皆さんに無理をお願いし、
今日、日曜日の午前9時に出棺し、火葬場に向かった。

一番乗りだったが、あまりにも近代的な設備の火葬場を見て、
しばし驚いてしまった。

待ち時間の間、あれこれ思い巡らした。
父が他界したのは44歳のときで、学生だった私は
最終便のプロペラ機で千歳空港へ飛んだ。
飛行高度が低いせいか、眼下の国道を走る車列のライトが見えた。
あれから45年以上経つので、母は連れ合いの2倍を生きたことになる。

喪主として自覚し、お骨を拾うのは初めての経験だった。
「人は塵から生まれ、塵に還る」というような言葉が思い浮かんだ。
焼け砕けた骨片の、意外な少なに驚きつつ、
改めて、人間が死んで持っていけるものは何か、と自問した。

金銭や資産を追い求め、名誉や地位を何よりも優先し、
人々の屍を踏み越えて前進する先に、一体何があるのだろうか。
大概のものは、死線を越えた瞬間に朽ち果てるだろうと思う。

では一体、人間は死後の世界に何を持っていけるのだろうか。
一言で説明することは困難だろう。

母は延命処置を拒み、さらには入院も拒絶し、
自宅で人生を終えることが希望だった。
誰しもが、それは同居する家族を持つ人が望める環境だといった。
費用も相当な高額になってしまう、と否定的な意見が大半だった。

終わってみれば、母は自分の最期を希望通り、自宅で迎えた。
最終的には17人のボランティアの女性たちが、
交代で母を支えてくれた。
ケアマネージャーの方が、ヘルパーさんとボランティアの皆さんを
組織化し、賢明なシフトを組んでくれたからこそ、できた業だ。
皆、地元の教会の皆さんだった。
さらに驚くことに、ほとんどの方が看護師か
ベテランのヘルパーさんだった。

日に日に身体機能が低下し、行動範囲が狭まる焦燥感。
自分でできることが、どんどん少なくなり、
自分で最も忌避していた、生ける屍同然の状態。
本人の精神状態を思うと、外からは見えない自分自身との
壮絶な闘いが続いていたはずだ。

ボランティアの皆さんを見ていると、
義務感を遥かに超越し、心の交流を広げ、深めつつ
親身に接してくれていた。
脇で見ていた主治医の先生が、感心するほどのようだった。

どのようにすれば、収入につながらない、しかも社会的には
なんの役にも立たない、それどころか限りなく
無に近い存在の老人に対し、あのように接することができるのだろうか。

改めて思い浮かんだ聖書の言葉がある。
「これらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち私にしたのである」

想像だが、行き場を失った小さな存在の人間に対し、
無私の純粋な慈愛を与えることにより、その人自身が
心に満ちる平安と達成感を感じるのではないだろうか。
そして更なる使命感を自らに課しているのではないだろうか。

死線を越えて持ち続けられる資産は、心の領域にのみ
存在するのではないだろうかと、そのような印象を与えられた。

自分より先に逝くような親不孝はしないでくれ、
と何度もいわれていた。
こうして今日、母の希望であり、また私の務めでもあった課題を
なんとか成し遂げることができて、安堵している。

脳内の一部が絶えず眠ることなく、常に待機し続けていたが、
ようやく緊張感が鎮まり、次の課題に向けて前進できそうだ。


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by hirune-neko | 2016-05-23 01:58 | 心の中のできごと | Comments(0)
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妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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