昼寝ネコの雑記帳

いよいよカウントダウンが始まったようだ


Stjepan Hauser - Oblivion (Piazzolla) for cello and strings

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毎日数回、母と電話で話しているが、何を話しているかが、
いよいよ聞き取れなくなってきた。
主治医からは、直接会って話しをしたいといわれている。
4月には札幌に行かなくてはならないだろう。

サイバーメスとかガンマーメスとかいわれるらしいが、
ピンポイントで腫瘍を切除する手法があり、知人も話すことができなかった
状態から、すっかり快復している。

主治医は数カ所に腫瘍があるのでモグラたたきになるといい、
消極的な判断をしている。

確かに91歳という年齢からすると、肉体そのものは極限まで劣化し、
希望に満ちた未来が開けている訳ではない。
命が燃え尽きようとしている母親を正視するのは、初めての経験だ。
死をもって終わることがあれば、死によって始まることもあるのだろう。

人生の途中はどうであれ、佳き人生だったと実感しながら、
一生を終えることができれば、それが一番なのではないだろうか。

学生の頃、傾倒し心酔したフランスの作家、アルベール・カミュ。
異邦人という名の作品の冒頭に、
「今朝ママンが死んだ。昨日だったかもしれない」
という一節がある。
母親の死に対し、かくも平静・客観的でいられる主人公のムルソー。
その部分が、フランス文学界に一大センセーションを巻き起こしたと、
何かで読んだ記憶がある。

これまでに、何度も深刻な会話があったが、その度に
私流のジョークで良く笑ってくれた。
今でも思考力はあるようなので、こちらからの話は理解できる。
なので、最後の最後まで、心地良いメッセージを送り続けようと
考えている。

しかし、人生はなかなか計算通りには展開しないものだ。
奇跡的に身体中の腫瘍が消滅し、体調が快復するかもしれない。
そして、もう人生の終わりなんだから、好き勝手に生きたい、
再婚相手を探せとか、タンゴダンスを習いたいとかいい出して、
周りの人間を唖然とさせたりするかもしれない。
可能性は、最後まで追求したいと考えている。

母の父親は30代後半で早世し、夫は45歳だった。
私は、自分も早死にするだろうという強迫観念で生きてきたが、
91歳の母親を見送ることができれば、唯一の親孝行になると思う。


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by hirune-neko | 2016-03-24 23:47 | 心の中のできごと | Comments(0)
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妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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