昼寝ネコの雑記帳

いい表現だなと、自画自賛してしまった


Contramilonga a la Funerala

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今日、ある会合で人生の苦難が話題にのぼった。
ある人が、生まれたばかりの子どもが亡くなるのは、
耐えられないことだろうと、感想を述べた。

オリジナルの文章を提供している名入り絵本には、天使版がある。
東日本大震災の時には、たくさんの子どもたちが落命し、
親たちも子どもを残して他界してしまった。
天使版をもとに、子どもを亡くした親のための文章を考えた。
次に、親を亡くした子どものための文章を考えた。

少なからぬ方々から、悲しみから抜け出せた、癒やされたという
お便りをいただいた。
少しでもお役に立てたようで、嬉しく思ったのを憶えている。
最初は天使版の絵本をプレゼントするのを拒んでいた、
産婦人科の院長も、今では依頼してくるようになっている。

今、仕事を手伝ってくれている次男の出産直前に、
母親が水疱瘡に感染し、次男は胎内感染した。
後で聞いたのだが、日本では初めての症例だったそうだ。
その後、学会で発表したという報告を受けた。

生まれて数日後、近所の小児科に行ったが、本で調べても
どこにも出ていないといわれ、広尾の愛育病院を紹介された。
即入院といわれた。
保育器の横に椅子を置き、夜通し様子を見ていた。
なんとなく、朝まで無事ならなんとかなるだろうと思っていたが、
空が白み始めた頃、呼吸をしなくなってしまった。

身体があっという間に土色になった。
保育器の丸い穴から手を入れ、小さな手を握って動かし、
名前を呼んだ。
すると、思い出したように呼吸を始めた。
またしばらくすると呼吸が止まり、その都度手を握って名前を呼んだ。
今考えると、綱渡りの命だったと思う。
もし私が仮眠していたら、助からなかったと思う。

翌日、救急車で感染症専門の、都立駒込病院に搬送された。
肺炎を併発したりで予断を許さなかったが、そこは
完全看護だったため、毎日二度、母乳を凍結して持っていった。

四週間の入院の後に、退院することができた。
今にして思えば、良く助かったものだとぞっとしている。

目の前で、生まれて間もないわが子が呼吸を停止し、
身体の色も変色して仮死状態になるという、
あの過酷な体験をしていなければ、天使版の文章や、
津波で子どもを失った親、親を失った子どもたちのための
文章は、おそらく書けなかっただろうと思う。

その経験を話したら、場がすっかり静まってしまった。
最後に、自分でも思っていなかった言葉で話を閉じた。

人間が苦難を受けるのは、いつか、誰かの苦難を軽くするためなんですよ。

あの当時は、そんなことを考える余裕もなかったが、ある程度年数を経て、
さらには命を留められた息子が、コンピュータのDTP技術を習得し、
手作り絵本を作っているのを見て、今では感慨深く思い出している。
無事に退院した後、母に報告すると、お前はその子に一番助けられるように
なるよ、といわれた。
実際にそのようになっている。
母親の直感というのは凄いものだと、改めて思っている。

久しぶりに天使版の文章を読み返してみて、被災地に何度も
足を運んだときのことを、遠く思い出している。

(とびらページ)

大切なわが子へ
お父さんとお母さんからのメッセージ

著作 
●●●●●(お父さんの名前)
●●●●●(お母さんの名前)
*著者名として、お子さんを亡くされたご両親の氏名が記載されます。

(2ページ)
*■■■■■には、亡くなられたごお子さんの名前が記載されます。
大好きな■■■■■
残念だけど さようなら

大切な ■■■■■
つらいけど さようなら

お父さんはね
おなかの大きいお母さんといっしょに
あなたが生まれるのを
ずっと楽しみに待っていました

(4ページ)

■■■■■
あなたはまだ憶えていますか?
生まれる前の遠い世界のことを

■■■■■は 小鳥さんやどうぶつたちと
いつもたのしく お話しをしていたんですよ

大きな木の枝から流れる
ふしぎなメロディーを聞きながら
この地上に生まれてくる順番を
今か今かと楽しみに待っていました

(6ページ)

いつも■■■■■を
優しく見つめながら
心をつつんでくれた
青空と陽の光は
あなたの成長する姿を
楽しみにしていました

お父さんとお母さんも
日に日に成長して行く■■■■■の将来を
そっと思い描いていました

(8ページ)

■■■■■
お母さんのお腹の中にいたとき
お父さんとお母さんの声が聞こえていたでしょ?

あなたにやさしく声をかけていたのを
憶えているでしょ?

お父さんとお母さんは
■■■■■を わがやに迎えることを
とても楽しみにしていました

(10ページ)

愛する ■■■■■

愛する ■■■■■は お父さんとお母さんの
神聖な愛の力によって
生まれてきました

この世があなたをこばむはずがない
あなたがこの世をこばんだのかもしれない

なぜあなたの成長して行く姿を
見守ることができなくなったのか
とても思い悩みました

(12ページ)

大切な ■■■■■

お父さんとお母さんからの
最初の贈り物だった あなたの名前を
そっと心にしまっておきますね

私たちより先に
次の世界に行ってしまったあなたのことを
いつまでも大切に
憶えていますからね

(14ページ)

私たちの ■■■■■

あなたとはいつかまた会えるような気がしています
不思議なことですが
立派に成長したあなたと
また次の世界で会えるような気がしています

あなたが なぜ先に行ってしまったのか
今は理解できないけれど
そして受け入れるのは簡単ではないけれど

でも もしかして
■■■■■には
何か特別な理由があったのかもしれませんね

(16ページ)

私たちの ■■■■■

お父さんとお母さんには
もう あなたの姿は見えないけれど
でも どこかで見守ってくれているような気がします

夏の暑い日に
さわやかな涼しい風が頬をなでたら
それは ■■■■■のささやきだと思うようにします

寒さが厳しい冬の日に
心が温かく感じたら
それは あなたからの思いやりだと思うようにします

(18ページ)

優しい ■■■■■
私たちと同じ心をもっている ■■■■■

いつか
なにかに感動したときや
とっても悲しいと感じたとき
そこに手をおいてみてほしい
あなたの心は そこにあるのだから

お父さんとお母さんがもっているのと同じ心が
あなたの中にもあるのだから

(20ページ)

お父さんとお母さんは
あなたが この世から離れてしまっても
あなたの心が
すこやかに成長することを願っています

悲しいこともつらいことも 乗り越えて
たくましく成長することを願っています

大切な ■■■■■
お父さんとお母さんは
いつまでも あなたを愛し続けます

(22ページ)

短い時間だったけど
■■■■■は お父さんとお母さんに
幸せを残してくれました

本当に短い時間だったけれど
お父さんと お母さんは
あなたに会えて感謝していますよ


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by hirune-neko | 2016-03-21 01:21 | 心の中のできごと | Comments(6)
Commented by 日本晴れ at 2016-03-21 17:04 x
お師匠のお仕事の手助けをされている次男さんの出産エピソードを聞いて、お師匠が取り組まれている名入り絵本や家族の絆を高めるプロジェクトの意味が一層理解出来たような気がしました。 本物の優しさですね。 勉強になります。

>人間が苦難を受けるのは、いつか、誰かの苦難を軽くするためなんですよ。

う〜ん、深いですね。 真理をついているようです。 まわりを見ても、確かに自身が苦難の体験を持つ方は、気遣いだとか優しさという点で‘糊しろ’を感じる方が多いです。 人間の人生なんてどうなるかわかりませんが、苦難に遭ったとき、自身でそれを克服出来る人は幸いだし、まわりに苦難を軽減してくれる人がいると、さらに幸いですね。

若輩者ながら、人生って、幸せになろうとするより、むしろ幸せであることに気付くことこそ大事なのかなあ、と改めて思い直しました。
「感謝、感動」、月並みな言葉かもしれませんが、出来る限り素直な心で感じ続けられるよう努めたいと思います。

Commented by hirune-neko at 2016-03-21 20:27
日本晴れさん

お読みくださって有難うございます。
ちゃんと読んでコメントを残してくださり、
励みになっています。

インターネット世界では、表象の一部を切り取って
あれこれの議論が展開しているようですが、
何度も申し上げるように、国家安全保障に資する議論と、
人間個人に向ける視線を混同せず、毅然と対応することと
人道的手法を的確に使い分けられるようになる必要が
あるように思います。

いずれにしても、根気が要りますね。
Commented by 鞠子 at 2016-03-23 02:03 x
昼寝ネコさんこんばんは。
丁度 過去記事の「津波でお子さんを亡くされたご両親へ贈る絵本」を読ませて頂いていた時にこの記事がアップされました。
昔、隣で眠っていた生後間もない息子が息をしていないのに気が付き、見る見る顔色が変わっていったんです。
幸い救命方法を教えてもらっていたので事なきを得ました。息子はその後も成長するまでに何度も大怪我をしましたが
彼が生かされているのはきっと彼にしか出来ないお役目があるからなのだろうなあと感じていました。
「人間が苦難を受けるのは、いつか、誰かの苦難を軽くするためなんですよ。」・・・本当にそうだと思います。
Commented by hirune-neko at 2016-03-23 09:57
鞠子さん

同じような経験をされてるんですね。
こればかりは、経験した人でないと、理解しにくいでしょうね。でも、救命処置ができて何よりでした。私は予備知識がありませんでしたので、ただ日田ずら手を握って名前を呼ぶだけでした。

お子さんはもう大きくなられたのでしょうか。
なんの意味があるかは、いつか得心することがあると思います。

過去記事をお読みくださり、有難うございます。
もう10年目のブログですので、何を書いたか記憶にありませんが、私自身の記録でもあると思っています。

有難うございました。
Commented by 千波矢 at 2016-03-26 23:30 x
◇なんという…

絶句する思いと、詩文に涙しました。


亡くなる間際まで『聴力』は健在だと聞きます。
意識がなくても、耳は聞こえているから、話してあげてくださいと…

赤ちゃんもまた、『胎児』の頃から、耳は聞こえているのでしょう…


お父様の『声』を、ちやんと聞き分けていた。
父の声の、『温もり』を、『愛情』をちやんと覚えていた。

生まれたばかりの幼子が、命の綱渡りの最中に、父の『愛』に懸命に応えていた…


息子さんは、生まれた瞬間に、これ以上にない親孝行をしてくれたのですね。


千波矢 拝

Commented by hirune-neko at 2016-03-27 00:01
千波矢さん

お読みくださり、有難うございます。
おっしゃるとおり、産婦人科医も同じことをいっていました。
胎児のときの記憶があるらしいですね。

あのときは必死でしたから、気力も体力も保ちましたが、
今は自分の方の心配をしなくてはいけなくなりました。

いつも有難うございます。
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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