1,500キロを徒歩で行軍した難民の悲話Astor Piazzolla, Aconcagua, II. Moderato いつもクリックしてくださり有難うございます。とても励みになっています。 今日、ある会合に参加した。 圧倒的に日本人が多かったが、中には通名の在日外国人がいたかもしれない。 ざっと確認しただけでも、アメリカ人、ニュージーランド人、 フィリピン人、ヴェトナム人、韓国人、中国人、ネパール人、 コロンビア人と、実にインターナショナルだった。 過日、冗談半分で「病み上がりの散歩」などという言葉を使ったが、 通路でよろけて、人にもたれかかることが二度もあった。 かなり筋力が落ちていることを自覚した。 何人かの方のお話しを聞いたが、印象深いシーンがあった。 まだ頭の芯がしっかりしていないようなので、断片的に記憶が途切れる。 多少想像が入ってしまうかもしれない。 一人の話者は、「国境のない医師団」の活動に関わりを持っているそうで、 その団体から、ときどき情報が届く仕組みになっているといっていた。 メールで届いたその情報について説明してくれたので、要約してみたい。 中東のある国で政変があり、かなりの国民が国外退去を命じられた。 夫を戦いで亡くした未亡人が、生まれて間もない小さな子どもを含め、 4人の子どもたちと一緒に、苦難の行軍を始めた。 携行を許可されたのは毛布や日常品を含め、重量30キロまでだった。 母親は、一輪車のような手押し車に荷物を積み、 一番下の子を抱きかかえながら、まだ小さな3人の子どもたちと一緒に 徒歩で目的地に向かった。 目的地は1,500キロも先の場所だった。 食料が尽きたので、途中の森で食べられるものを探さなくてはならなかった。 やがて極寒の冬が訪れた。零下20度の外気に晒され、一番体力のない、 小さな子どもが命を落とした。 凍結した地面に、スプーンで小さな穴を掘り、埋葬した。 行軍は果てしなく続き、二人目、そして三人目の子どもも 相次いで埋葬することになった。 じきに、最後に残っていた子どもも力尽きてしまった。 その時にはすでにスプーンも何もなく、母親は凍った大地を 素手で掘り起こし、子どもの埋葬を終えた。 この話を聞き終えて、真っ先に思い浮かべたのは、 一度も行ったことがなく、会ったこともない人たちのことだった。 相当以前から、中国のかなりの国土面積が耕作に適さないほど、 重金属・農薬に汚染され、大気も重度の汚染、河川の水も飲料に適さない、 などの情報を目にしていたので、中国原産の食材は決して口にしていない。 ましてや、中国産なのに原産国を隠し、加工国日本だけを前面に出す スーパーでは、買い物をすることを控えている。ささやかな不買だ。 私自身や家族、親しい知人は注意することで、危険な食品を避けられる。 しかし、中国に住む「農村戸籍」の人たちは、居住地も制限され、 重篤な環境汚染から身を守る術がないのではないだろうか。 年明け早々から、中国の経済破綻を指摘する人が増えているし、 国民の不満が募っての暴動件数もかなりの数に上るようだ。 人民解放軍のクーデターの噂も指摘されている。 私は中国に行かなければ済むことだが、国外に脱出したくても 状況が許さない中国人は、おそらくかなりの数になるのではないだろうか。 韓国ですら、若者を対象とするアンケートでは、国外に住みたいと 答えた人たちがかなりの数を占めたという記事を読んだ。 国際社会で様々に繰り広げられている、情報戦争、経済戦争、 軍事戦争、資源戦争、穀物戦争、工作活動は現実問題であり、 日本でも国民レベルで、現実を直視しなければならない。 他国からの工作活動を漫然と放置するなら、いずれ遠からぬ将来、 国家転覆につながり、悲惨な隷従生活を強いられる。 なので、日本国内で勢力を伸ばしてきた浸透・工作活動に対しては、 毅然とした態度で臨むしかない。 的確な情報収集により、一人でも多くの国民が意思表示すべきだ。 国家が転覆し、他国から支配されたときの状況を想像・正視すべきだ。 しかし一方で、日本を敵視し反日攻撃を仕掛けている国にも、 身動きできず、抑圧された悲惨な生活を送る人たちが 多く存在することも視野に入れる必要があると考えている。 和も大切だが、明確に意思表示することはそれ以上に大切だ。 さらに大切なのは、例え敵対する国や団体・個人であっても、 個人として窮地に陥ったときに、人道的な支援を厭わない、 人間的としての寛容さを、行動で示すことができることだと思う。 自分に敵対し、自分を憎悪する相手の窮地を見て、狂喜乱舞するよりも、 可能な範囲で支援を申し出ることができるような人間でありたいと思う。 極寒の冬に1,500キロの苦難の行軍を強いられ、かけがいのない 4人の愛する子どもを失った母親が、もし仮に私の大事な家族を 殺害した犯人だったとしても、できる範囲の支援を、ためらいなく 申し出られる人間でありたいと、そう思った一日だった。 いつもクリックしてくださり有難うございます。とても励みになっています。
by hirune-neko
| 2016-01-17 23:33
| 心の中のできごと
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Comments(4)
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薔薇姫s
at 2016-01-18 14:17
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今日は。
今日は雪の舞う関東地方…お寒いことと思います。 昼寝ネコ様、そう言う心境になれるようになりたいと思っております。 精進いたします。
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hirune-neko at 2016-01-18 15:06
薔薇姫sさん
はい、雪が降って寒くて電車が止まって、大変でした。 戦闘は戦闘ですが、人道的な寛容性は原点ではないかtろ、 そのように考えています。感情むき出しで敵愾心の人もいますが、 個人的には違和感を感じています。
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薔薇姫s
at 2016-01-18 18:55
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hirune-neko at 2016-01-18 21:47
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・1951年
小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。 ・1969年 中央大学経済学部入学 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。 ・1974年 同大学卒業 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。 ・2006年 現在に至る プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。 ・2010年 宇宙の旅 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。 ・現在 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。 お気に入りブログ
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