昼寝ネコの雑記帳

「人間失格」から「人間合格」に至る源泉


Bill Evans Trio With Symphony Orchestra - Valse

いつもクリックしてくださり有難うございます。とても励みになっています。


初めて、太宰治の生家である斜陽館、そして津島家別邸を
訪れたときのことが、突如思い出された。
あれは何年前のことだったか、まだ思い出せない。

思い出した。
東日本大震災後に、寄贈絵本を記事にしてくれるよう
北海道新聞、室蘭民報、函館新聞を訪れ、津軽海峡を渡って
次に訪れたのは、弘前に本社のある陸奥新報だった。
その帰途、レンタカーで津軽平野を北上して立ち寄ったはずだ。

母方の祖父の生まれは、昔の金木町・現在の五所川原市だ。
北海道の室蘭に移り住み、母の言葉によれば若くして
当時の日本製鋼所の工場長を務め、38歳で病死した。
その祖父とは一面識もないのだが、アルバムの写真と
母から聞いたいろいろなエピソードで、子ども心に
尊敬の念をいだき、また親近感を持っていた。

なので、津軽弁や津軽鉄道には今でも郷愁を感じている。

名入り絵本の「大切なわが子へ」の本文を、津軽弁で
作りたいと考えたのも、やはり心の中にずっと
津軽に対する郷愁が消えなかったためだろうと思う。

五所川原で太宰の作品を、津軽弁で読み聞かせている女性を
紹介してもらい、その方に、津軽弁の文章を作ってもらった。
出来上がってすぐに、陸奥新報社の五所川原支社に電話して
記事化の取材依頼に押しかけた。
当時の女性記者の方が、かなりのスペースを割いて
記事にしてくれた。

祖父と太宰治はほぼ同時代人であり、菩提寺も一緒だ。
しかし、私自身は太宰作品をほとんど読んでいない

斜陽館はすっかり観光拠点になっているように見えた。
一方、津島家別邸は観光客が訪れる気配もなく、
ひっそりと、当時の静かな佇まいを残していた。

ガイドの方にお願いし、太宰が作品の構想を練った
という和室で、一人にさせてもらった。

太宰が暖を取ったとされる火鉢にそっと手を置いてみた。
理由は分からないが、突然、太宰の魂が降臨したかのように
心の底から感動がこみ上げ、涙が溢れた。

今、考えてみても、一体何がそうさせたのか思い当たらない。

太宰の作品では、「人間失格」というタイトルが印象深い。
自分自身のことを胸を張って、「人間合格」だなどとは
とても宣言できない。
「人間失格」という言葉の陰に隠れ、心のひだに織り込まれた陰影を
ときどき苦渋の思いとともに思い出すような人間なので、
「人間失格」というレッテルに甘んじている。

しかし最近になって、どうも雲行きが怪しくなってきた。

どうせ自分は「人間失格」だからと、その看板に隠れて、
負け犬のまま人生を終えていいのだろうか、と思うようになった。
別に居直るつもりはないのだが、じゃあ、過去に汚点のない
「人間合格」のまま、ずっと人生を生きてきた人間は存在するのだろうか。

さらにいえば、人間の根源的な価値はどのように捉えるべきなのか。
失敗や過ち、挫折や苦難に遭い、そのままうちひしがれて
自己否定をしながら、日陰を選んで生きるべきなのだろうか。

いや、そうではないだろう。
どんな状況からでも、その気になりさえすればリセットして再出発が
できるはずだ。どの人間にも、そのような特質が具わっているはずだ。
失敗や過ち、挫折や苦難は、その後の生き方によって、その人間を浄化し
よりよい生き方をするプラスの原動力になるのではないか。

今では、そのような考え方に確信を持っている。

なので、真の「人間合格」というのは、「人間失格」状態から、
正しい方向に向かって、まさに重い一歩を踏み出そうと努力している
人間の姿に与えられる称号なのではないだろうか。

そのうち時間があったら、太宰作品のパロディではなく、
「人間失格」というのは、「人間合格」に至る初期状態である、
という考えに基づいて、「人間合格」というタイトルの
短編作品を書いてみたい。

いつになるかは分からないが、やりたいことがひとつでも多くあった方が、
人生が充実し、サルトルではないけれど、自己投企することに
つながるのではないだろうか。

二十歳過ぎの頃に出会った実存主義の基本的な考え。
「今あるところのものであらず、あらぬところのものであるよう」に
自分をより高い水準の自分に投企する、という考えに、今でも賛同する。

正確な表現は憶えていないが、サルトルは
「クリスチャンは、生まれながらにして聖書に生き方を束縛されている」
というような表現で、キリスト教を否定した。
その考えにすっかり同調・傾倒した私は、牧師さんと議論するために
キリスト教会を訪れた。論争では負けない自信があった。

あれから40年以上経過したが、今ではサルトルのその考え方は
大きな誤りだと、自信を持っていえる。
もしサルトルが生きていたら、フランスに飛んで議論したいぐらいだ。

たかだか1週間そこそこだが、断糖効果が出てきたのか、
少しずつ、脳内機能が重力に逆らうように、ギシギシいいながらも、
生気を取り戻してきたように感じる。

実に嬉しいことだ。

今日も、セブンイレブンでは何も甘いものを買わず、
洋菓子屋さんの前も素通りして無事に帰ってきた。

以前の自分と較べれば、かなり進化してきたと、自画自賛したい。


いつもクリックしてくださり有難うございます。とても励みになっています。

[PR]
by hirune-neko | 2015-11-27 20:22 | 心の中のできごと | Comments(0)
<< もしかして自虐行為か自殺行為な... 断糖生活にも身体が慣れてきたようだ >>



妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
検索
ライフログ
最新の記事
最新のコメント
> 豆腐おかかさん ..
by hirune-neko at 01:16
かつさん ありがと..
by hirune-neko at 16:14
岡崎トミ子は死んでますよ..
by かつ at 09:09
causalさんからの投..
by hirune-neko at 22:27
causalさんの投稿を..
by hirune-neko at 22:26
記事ランキング
以前の記事
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
お気に入りブログ
ファン
ブログパーツ