昼寝ネコの雑記帳

私ごときにだって、葛藤のひとつやふたつはある


Astor Piazzolla - Regreso al amor

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それなりの年数を生きていれば、誰にだって晩年は訪れる。
何歳からが晩年なのかは、その人の生き方によって異なる。
奇妙に聞こえるかもしれないが、私の晩年はすでに
20歳代から始まっていたのではないだろうか。

未知のことをたくさん抱えてはいたが、
人生には情熱を傾けて完遂しようと思える動機は
存在しないのだと、妙な確信を持ってしまっていた。

30歳前後からの数年間は、やみくもに海外に出かけた。
閉塞感が色濃い自分の殻を破れる何かがあるのではないか、
そんな期待があったのかもしれない。

ぼんやりとしか憶えていないが、ポンヌフの恋人達という
フランス映画が、今でも印象に残っている。
後日、セーヌ川に架かるその橋を見たときは、
感慨深さが湧き上がるのを実感した。

バーナード・ショウの言葉だったか忘れたが、
人生に退屈しきった人間が最後に訪れるのは
ロンドンの街だ・・・という表現を思い出す。
言葉で上手く表現はできないが、人間の欲望と
諦観、行き場を失った異国人、徒労と倦怠。
あらゆる心象風景が凝縮された街だと感じた。

パスポートを更新しなくなって、20年以上が経つ。
機会があったら北欧に行ってみたいと思っている。
アルゼンチンに行き、何日間かブエノス・アイレスに
滞在してみたいと思っている。

晩年には、人との接触を避けて静かに暮らしたいと
思っていた。
湘南の海を見下ろす高台の家で、
唯一インターネットの回線だけは絶たずに、
文章を書く仕事を細々と続けながら、ひっそりと
暮らしたいと思い描いていた。

もう少しで、年金以上の印税収入になりそうだ。
まだ動き回れるうちに、できるだけ契約件数を増やし、
たまには小旅行ができる程度の印税収入を確保しよう。
・・・そんな感じなので、仕事に集中する動機は、
いかに快適に、一般社会から隔絶した空間に逃げ込み
気ままな創作活動を送るかに凝縮していた。

人生とは思うように行かないものだ。
出産祝いのプレゼント絵本は、13年前に産声を上げ
採用してくれる産婦人科クリニックが少しずつ増えて
累計で3万5千人以上の赤ちゃんに届けられている。

最初は両親のもとに生まれる情景を描いていた。
もちろん圧倒的に大多数だ。
でも、事情があって母親独りで育てなくてはならない
境遇の赤ちゃんも存在する。
月満ちずに母親のお腹の中で力尽きて天使になる赤ちゃん。
出産翌日に亡くなった母親。
子どもの誕生を楽しみにしながら、病に倒れ
還らぬ人となった父親。

実に人生とは様々な情景が交錯するものだ。
様々な出産シーンに合わせて文章を修正していると、
いつしか、名前だけしか目に触れない彼らの
哀しみが伝わり、嗚咽の声が聞こえるようになった。

私には結婚している4人の子どもと、5人の孫がいる。
だが不思議なことに、成長を保留した3万5千人の
赤ちゃんの日常生活が、いつも気にかかっている。
営業に加速度がつけば、その数はますます増える。

そんな目に見えず、耳にも聞こえない子どもたちの
声なき声に押し出されるように、いつの間にか
彼らを護り育てている家庭の、平安と安寧を
願うようになった。

断片的なイメージをつなぎ合わせ、何年も何年もかけて
考え続けた結果、思い浮かんだのが
ファミリー・インテリジェンスだった。
いくら検索しても、当時はひとつもヒットしなかった。

自信を失いながら、さらに何年もかけて
ようやく最近、目に見える形になってきた。
で、気がついたらいつの間にか、自分の意識からは
晩年という言葉が消え去ってしまっていた。

情熱を傾けて、成し遂げたいテーマが出現していた。
なので今は、能力の限界の拡大にチャレンジしつつ
このままダラダラと、晩年が延々と続くことを願っている。


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by hirune-neko | 2015-06-04 01:40 | 心の中のできごと | Comments(0)
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妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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