昼寝ネコの雑記帳

ピアソラに興味を持った老母への選曲


A. Piazzolla 'Oblivion' - Wurttembergisches Kammerorchester Heilbronn

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先週の木曜日、夜の便で札幌新千歳空港へ。
思った以上に、いざ機内の人間になってしまうと
まったく不安がなかった。
iPadで日課の読書をし、途中でうたた寝し・・・
突然、ドスンという音ともに椅子から突き上げるような
衝撃を受けて、一瞬驚いたが、なんのことはない。
着陸したときの衝撃だった。

昨晩は空港内のホテルに宿泊した。
朝からメールと電話で処理案件が連続し、
朝食抜きで、チェックアウトギリギリまで
作業を余儀なくされた。

羽田空港到着時も同様で、ドスンという衝撃で
着陸を知った。
連日、電車、地下鉄、バスと乗り継ぎ、
かなりの距離を歩いたので、さすがにもう
歩くのがすっかり億劫になってしまった。
なので、羽田空港から武蔵小杉行きのバスに乗り、
一度乗り換えて、最寄りの駅前で降車した。

母の家で、1年ぶりに親子で過ごしたが、
5泊6日というのは、終わってみれば
あっという間だった。

診断は呼吸器の先生で、肺の腫瘍は大きくなっているが
もろもろの検査結果は心配するほどではない、
ということでひと安心した。

循環器の先生も、心臓の動きは順調であり、
ペースメーカーのバッテリーもあと4年は持ちます、
とのことだった。
母は苦笑いし、それまで生きてるでしょうか、
と、つぶやいた。

少し歩いただけで息切れがする症状が、何年も
続いている。原因は未だにはっきりしない。
ここ数年は1年に1回の検査で付き添っているが、
今年の秋には、脳外科と消化器外科の検査を受けに
連れて行った方がいいような気がしている。

夜、何かの話でピアソラの名前が出た。
母がノートにピアソラの名前をメモしたので、
聴いてみる?というと、うん、という。
iPadで、最初にOblivionを聴いてもらった。
これでもタンゴなのか?とても哀愁に満ちている、
と、感想をいった。
次にRemembranceなど、数曲を聴かせた。

仕事が最悪の状況の時に、これを聴いて
勇気をもらったんだと説明し、Roberto Goyenecheの
Vuelvo al Surを一緒に聴いた。

今朝、近所の方からメールが入った。
お母さんは久しぶりに会ったのに、あまり
話をすることができなかった、といってましたよ。
いや、息子としてはあれでも精一杯だった。
どこに行っても仕事に追いかけられ、絶えず
なんらかの処理をしている身なので、
母の心情は理解できるものの、私にも限界点がある。

旅先はノートパソコンで、画面が13インチであり
大変窮屈な作業環境だった。
メールやネットの閲覧程度ならまだいいのだが、
Quarkで通常に資料を作成し、しかも画像が絡むと
不自由さが際立つ。
iMacに較べると、体感では5倍ぐらいの時間が
かかったように思う。

遺品整理をかなり進めている母が、何冊かの
アルバムを見せ、捨てていいかどうか判断しろという。
小さい頃から、高校生、大学の寮生活までの
写真が貼られていた。
改めて、自分がずいぶん長い期間、生きてきたのだと
実感した。

母の永年の苦労を一番知っているのは、私しかいない。
しかし、老母の思い出話を延々と聞けるのは、
やはり娘が一番いいように思う。
案の定、北海道に娘がいれば良かった、と
いわれてしまった。

一般論としてだが、北海道の女性は強くてきつい。
いざとなるとはっきり、ものをいう。
独り暮らしが、もう40年以上の母は、やはり
それなりにきつくなければ、やってこられなかった
のだろうなと思う。

あと2年は生きていたいと、毎年言い続けている。
今年で90歳になったが、なんとなく100歳まで
生きながらえるような気がしている。
意外とそのうち、突然の訃報が知らされるように
なるかもしれない。

滞在中母は、自分を見送ってほしいと思っているが
案外お前の方が先に逝きそうな気がする、と
2度いった。
何歳になっても私は母の子どもであり、
母親としての勘が働くのだろうから、もしかしたら
案外そうなるのかもしれないなと、思ってもいる。

一方、北海道滞在中、納品先の産婦人科クリニックへ
院長先生を訪ね、また昨日はある市役所の
保健福祉部長にお会いし、さらには地元の
地方新聞社に編集局長を表敬訪問し、いよいよ
ファミリー・インテリジェンス・サービスを
開始する旨を宣言して帰ってきた。

誰だって初めて聞く言葉なので、戸惑いの表情だった。
でも、これは自分のライフワークのひとつだと
思っているので、引き続き使命感を持って
前進しようと、心を新たにすることができた。

iMacでのブログ更新は、やはり快適だ。

約1週間、ブログ更新をすることができなかった。
更新を楽しみにしてくれていた、読者の皆さんに
ご無沙汰のお詫びを申し上げたい。

また時々、お寄りいただきたい。


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by hirune-neko | 2015-05-13 23:40 | 心の中のできごと | Comments(0)
<< 初めてファミリー・インテリジェ... 久しぶりの北海道 >>



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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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