いつかまた、目覚めることがあるのだろうか"DESPERTAR" - Astor Piazzolla いつもクリックしてくださり有難うございます。とても励みになっています。 明日から、空路北海道へ行くことになっている。 ある程度、仕事を片付けてからなので、夕方過ぎの便だ。 飛行機は乗ってしまうと不安も消えるのだが、 それまでは常に、最悪の場合を考えてしまう。 自分のことが心配なのではなくて、あれやこれや 手がけている途中の仕事を、残された者たちが 引き継いでいけるかどうかの心配が頭から離れない。 遅まきながら、毎月スケジュールを決めて、 危機管理の観点から、少しずつレクチャーできるよう 調整を依頼した。 常に指針となるものがあると、安心感がある。 ある日突然、その指針が消え失せてしまうと、 喪失感、欠落感が一気に襲ってくるのを判じる。 つい昨日、ブログ「余命3年時事日記」のことを 書いたばかりなのだが、今日の更新記事は、 当分は更新を休むというお知らせだった。 膨大な数のアクセスを得て情報を拡散し、 役目は済んだという表現があったので、いつかは 情報発信を止めてしまうのかなと思っていた。 しかしまさか、こんなに早く休止するとは、 正直いって驚いた。 でも、私の第六感からいわせていただくと、 これは何かの陽動作戦なのだろうと思っている。 X Day間近の、この重要な時期に、 「近親の要介護者2名ということと、 ネット環境最悪の、ど田舎でして、現状めどが 立っておりません。」 だなんて・・・いかにも嘘っぽく感じてしまう。 でもまあ、そういうことにしておこう。 おそらくは、次のステップに向けて、つまりは 情報提供と啓蒙活動は一応の務めを果たしたので、 いずれの領域においても発生するだろう、 実務的な混乱に備え、準備と調整を行うための、 休止なのだろうと考えている。 おそらくは、ある日ひょっこりと 目覚めの朝が訪れるに違いないと思っている。 「実は休止している間に・・・」 という説明とともに、再びかなり具体的な指針を 提供してくれるようになるのではないだろうか。 「余命3年時事日記」に代わるブログは、 そうそう見つけることはできないだろうから、 まあ仕方がない。最初から答えを教えて もらうような無精な方法ではなく、ちゃんと 自分自身でも、あれこれ調べて考えようと思う。 それにしても、自分自身の危機管理に対する 対応の不備を、今頃になって反省している。 周りの人たちに対しては、ああだこうだと 偉そうにいうことが多いのだが、紺屋の白袴とは まさにこのことだ。 行きも帰りも、航空会社は全日空を選んでいる。 ニュースで全日空の事故が報じられ、このブログの 更新が途絶えるようなことがあったら、まあ、 そのときはそういうことだと思っていただきたい。 ・・・このいい方はまさに「余命3年時事日記」の 先代ブログ主である「かずさん」のいい方 そのものだ。 30代の頃は、成田からJFケネディ空港へ飛び、 そのまま乗り換えてヒースロー空港まで飛ぶような 無茶な旅程を繰り返していた。 それに較べれば、羽田から札幌なんて、うたた寝の 間にすぐ着陸するような距離なのだろうと思い出す。 まあ無事に帰ってきて、老母とのアホな会話でも ご紹介できることを希望している。 旅先では、思うように更新できないかもしれないが、 どうかご心配なく願いたい。 でも、もしものことも考えて、日頃から閲覧してくださり この場を借りて、改めてお礼を申し上げておく。 いつもクリックしてくださり有難うございます。とても励みになっています。
by hirune-neko
| 2015-05-06 22:48
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・1951年
小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。 ・1969年 中央大学経済学部入学 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。 ・1974年 同大学卒業 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。 ・2006年 現在に至る プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。 ・2010年 宇宙の旅 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。 ・現在 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。 お気に入りブログ
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