オシント初挑戦・余命3年時事日記+wikipediaTanguedia Quintet & Sinfonietta Lentua: Tristezas de un Doble A (Piazzolla/Sandås) いつも有難うございます。クリックしていただくと励みになります。 ”オシントはオープン・ソース・インテリジェンス (OSINT:open source intelligence)の略で、 公開情報から収集された情報を元にする、 情報収集の専門領域を指す。 各国情報部は、この手法に70〜90%の割合で 時間と労力を割くと説明されている。 (思ったよりずっと高比率だ。) 「合法的に入手できる資料」を 「合法的に調べ突き合わせる」手法で、 情報源は政府の公式発表(プレスリリース)、 マスメディアによる報道、インターネット、書籍、 電話帳、科学誌その他を含む。 具体的には、対象国の方針を割り出すために、 対象国の新聞社交欄、ニュースの断片、人事の異動発令 などを丹念に集積し、分析するといった手法である。 細かいデータを少しずつ集めて分析するだけでも、 相当な精度の情報が得られることがある。 媒体入手・分析は駐在国公館で行なわれることが多い。” 以上はwikipediaで説明されている記述に 少し手を加えたものだ。 毎日、少なくとも20種類の各種個人ブログと 何種類かの有料メルマガを閲覧している。 現在のところは、そこまでで手一杯であり、 なかなか対象が広がらない。 その中でも、再三紹介している 「余命3年時事日記」の記事は大変興味深い。 とくに、今年2015年7月を期限として、複合的に 発効する種々の法案が相乗することで、日本国内での 暴動発生を予測している。しかも警察力だけではなく 自衛隊どころか予備兵までを投入する準備が 進められているという記述があり、尋常な状況ではない。 「余命3年時事日記」は、ときにwikipediaを引用し 第一発信者になることを避けながら、かなり具体的な 分析説明をおこなっている。 マスメディアはほとんど触れていないとも説明している。 その理由はともかくとして、ざっと読んだだけでは、 第三者に簡単に説明できるほど、単純な構造ではない。 個人的に、ボランティアで関わっている市民団体に 説明の機会をいただいて、一度客観的な報告説明を行い 一応は注意を喚起しておこうと思っている。 そこまでが私の務めであり、そこから先は 運営管理者の皆さんの判断だ。 「テロ資産凍結法案」、「犯罪収益移転防止法改正案」 および 「公衆等脅迫目的の犯罪行為のための資金の提供等の 処罰に関する法律の一部を改正する法律案」の3種類が、 なぜ相次いで可決したのか。 それと国内暴動がどのようにつながっているのか。 ようやく分かってきたのは、そもそもの発端が 1989年にフランス・パリで開かれたアルシュ・サミットで 経済宣言を受けて設立されたFATF:Financial Action Task Force on Money Laundering、つまり 「マネーロンダリングに関する金融活動作業部会」 と呼ばれる各国政府にまたがる機関にあることだ。 2007年の時点で、世界主要34カ国と国際機関が 加盟している。 日本がアメリカや他の加盟国から、非協力的な国として 名指しされ、非難されていたことも、これらの法案の 可決を後押ししていたようだ。 既述のように「細かいデータを少しずつ集めて分析する」 作業になってしまうが、「余命3年時事日記」の記事を 参考にして、他の各種サイトを調べ、 説明資料を作成しようと準備を始めている。 とりあえずは、上記のFATFなる政府間機関のあらましを A4判1枚にまとめてみた。 最下部には、日本が非協力国と認定された根拠が 表として掲載されている。 国内暴動だなんてやれやれだが、私にも 娘や孫がいるので、しっかりした説明資料を作成し 注意を喚起していきたいと思っている。 下部に、その資料を画像化して掲載する。 内容はすべて公開情報なので、PDF版でほしい方は メールアドレスとお名前を教えていただければ 添付してお送りしたいと思うので、ご遠慮なくどうぞ。 ・メール依頼送信先→hiruneneko.blog@gmail.com 2015年問題分析資料 いつも有難うございます。クリックしていただくと励みになります。
by hirune-neko
| 2015-01-24 21:43
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・1951年
小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。 ・1969年 中央大学経済学部入学 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。 ・1974年 同大学卒業 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。 ・2006年 現在に至る プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。 ・2010年 宇宙の旅 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。 ・現在 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。 お気に入りブログ
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