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昼寝ネコの雑記帳

死後44年が経過した父との和解


Philadelphia Sinfonia - Astor Piazzolla "Melodia en La Menor"


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もうじき90歳になる、
札幌で独り住まいの母との電話は、
数分で終わることが多い。

母は電話口まで歩くだけで、息が切れる。
最近は、足の甲が大きく腫れ上がり、
ついには足裏にまで晴れが拡がって
歩くことも立つこともできない状態になった。

なので、大概は事務的な「安否確認」で
受話器を置くことが多い。

母は7年前に、急性心不全で緊急手術を受け、
ペースメーカーを入れた。
40年ぶりに訪ねてきた看護師の従姉妹が、
携帯していた測定器で、酸素量の異常を指摘し、
そのまま検査入院させてくれた、その夜のことだった。
病院内での急変だったので、緊急手術が間に合った。
従姉妹が訪ねて来なかったら、自宅で絶命していただろう。

従姉妹は私より1学年上なのだが、
正確には父の従姉妹にあたる。
父の父親は長男で、その末弟が従姉妹の父親だ。
なので大きな歳の開きがある。

父の父親、つまり私の祖父は、いわゆる大酒飲みで
その末弟や飲み仲間が毎晩のように、
わが家で酒宴を開いた。
いつもお決まりのコースで、何やら口論になり
大声を上げるとグラスを床に叩きつけ、
仕舞にはお膳をひっくり返す。
日本酒の臭いが部屋中に拡がる。
私は難を避けるため机の下に逃れ、いつしか
大人たちの狂乱を醒めた目で見るようになった。

母は何度も離婚しようと考えたらしい。

父の記憶はほとんど思い出せない。
一緒に遊んだ記憶も、本を読んでもらった記憶も、
人生訓を聞かされた記憶も、ほとんどない。
寡黙で、滅多に感情を表にだすことのない人間だった。
ただ、父自身も感情を抑圧されていたのだろう。
凄い勢いで家を飛び出したことがあった。

その父は、私がまだ二十歳にならない10月に、
札幌のガンセンターで亡くなった。
45歳の早い死だった。

羽田から夜行便のプロペラ機で、
眼下の車列のライトを見下ろしながら千歳に向かった。

遺体と対面しても、なんの感慨もなく、
事務的に通夜と告別式を済ませた。
1970年のことなので、ちょうど44年が経過した。

昨日の母との電話は、珍しく長時間になった。
母は自分のことを、
女だから感情的な思考をするといった。
そして、父のことを感情に流されない冷静な人だった
と、珍しく話題が父のことになった。
私の記憶にない情景を思い浮かべた。

連日の狂乱の酒宴は、確かに私自身の心に、
なんらかの影響を残したと思う。
しかし、父にとっては、自分の父親や叔父であり、
子どもの頃から、あのような家庭環境で育った
父の内面は、果たして
どのように形成されたのだろうか。

生まれて初めて、父の育った子ども時代、
青春時代を想像してみた。
決して楽しかったはずがない。
平安な夜を過ごしたことは、ほとんどなかっただろう。
自分の意見を述べようとしても、頭ごなしに
怒鳴られたに違いない。

母は母で深い傷を負った。
しかし、小さい頃から
もっと深い傷を負ったであろう父は、そういえば
私に対して理不尽に当たり散らすことは一度もなかった。
電話の向こうで、遠いできごとを思い出しながら話す
母の言葉を聞きながら、すでに亡くなって久しい父が
言葉にならない言葉で、私に語りかけているのを感じた。

父が亡くなった年齢より、20年近く長く生きてきて、
今ようやく父の人格の本質を垣間見たような気がする。
青年期からずっと、父に対する拒否感を抱いていたが
死後44年目にして、心から父を受け容れ、
和解できたように感じている。

旧いSPレコードの音楽を聴くように、懐かしさと
感慨を、平安な気持ちで静かに味わっている。


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by hirune-neko | 2014-11-17 01:09 | 心の中のできごと | Comments(2)
Commented by バオバブ at 2014-11-17 20:09 x
読んで泣かされましたよ。

すべての大人は、昔は子供だった…という事を最近よく考えます。
親も、そのまた親も子供時代があって、
鼻を垂らして遊んでたんだと思うと、何か愛しく思います。

かつては皆、子供だった。
そう思えれば、大人を見て、
なるほど〜そうなってるか…と納得できる人間…いますねぇ〜。
ストレス感じる人と出会ったら、
かつては、この人も鼻垂れ小僧か…と思うと、許せたりして…

親の子供時代を見てみたいですよね!
Commented by hirune-neko at 2014-11-17 22:43
バオバブさん

お読みくださり、コメントも有難うございます。作家になるには、自分の恥部をさらすようでなくてはいけない、と、どこぞの店長がいっていたことを思い出します。

まあ、私も歳をとり老境なのだと自覚しています。もうかなり我欲もなくなり、あってもせいぜいノーベル文学賞ぐらいのもので、かわいいもんですよね。ハハハ
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妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在

by hirune-neko
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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