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昼寝ネコの雑記帳

静かなカレンダー



Astor Piazzolla: Milonga del Angel (arr. Per-Olov Kindgren)

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静かなカレンダー


 田園都市線のたまプラーザ駅から、歩いて15分ほどの低層マンションに向かって歩いている。気が重い分、足取りも重くなっているのが良く分かる。開口一番、なんと挨拶すればいいだろうか。お元気ですか?体調はいかがですか?ずいぶんお久しぶりですね、このたびは何といっていいのか・・・どれも空々しい。

 真夏まではまだ間があるが、照りつける陽射しが思ったより強く、脳内に不快感が拡がってくる。すれ違う人たちの表情を盗み見るが、誰も彼もが穏やかな表情に見え、不幸とは一部の人に偏在するのか、あるいは大人になった人間は誰でも、人前では表情に出さないだけなのか、などと、考えても仕方のないことに神経が向いてしまう。

 ボランティアの市民団体から連絡があったのは、昨日だった。唐突に、たまプラーザの岡村さんを訪問してほしいという。去年の春、私は担当を外れて、それ以来連絡を取っていない。それが規則なので。
 聞くと私の後任の人間が転勤になってしまい、誰が担当してもずっと訪問を拒否しているという。一体何があったのだろう。

 駅からの緩やかな長い坂を下りながら、遠く過ぎ去った岡村さんとの会話を、断片的に思い出していた。ボランティアはいつも二人ひと組で行動するのが規則だった。何世帯かを定期的に訪問したが、誰もが最初は口が重く、心の中からの言葉を聞くことはなかった。相手が核心に触れる言葉を発するまで、堂々めぐりの他愛ない話題に終始し、辛抱強くその時を待つ。しかし心の扉を開いた後は、堰を切ったように話し始める。安心感が芽生え、警戒心が徐々に解かれるのだろう。人に心を開いた記憶のない私だったが、それは素直に嬉しかった。

 岡村さんは例外的に饒舌だった。早くにご主人を病気で亡くし、残された小学生の息子さんを育てながら働いた人だが、おそらく夢中でそして必死で生きてきたため、それに小さいお子さんを抱えていたので、悲しみや辛さの中に留まることなどできなかったのだろう。

 私など、およそ人を元気づけたり励ましたりなどができる性格ではない。実際に、岡村さんからは何度も励まされ、逆に心配もしてもらった。そのたびに苦笑したのを憶えている。

 息子さんはやがて中学生になり、成績は良かったそうだ。高校生になると、誰の影響なのか飛行機の設計をしたいと思うようになった。文系の私には、飛行機を設計するために、一体どんな専門知識が必要なのか皆目見当がつかなかった。息子さんの夢や希望は、そのまま岡村さん自身のものでもあった。楽しみ、張り合い、支えに満ち溢れた岡村さんは、苦労が報われた人生を生きていると、私も傍らで嬉しく思った。

 心のゆとりは、やがて周りの人たちへの関心と思いやりに変容していった。人と知り合うごとに、相手の誕生日、結婚記念日を訊いた。そして壁掛け用のカレンダーに記し、手製のカードを作って贈るのが習慣化した。仕事先の人、近所の人、美容院の人、と次第次第に増えていき、カレンダーに空白の日を見つけるのが難しいぐらい埋め尽くされた。

 成績の良かった息子さんは、そのままずっと成績優秀で、去年の春には見事に東大に合格した。奨学金も確保することができ、私はすっかり安堵して三年間の担当を離れた。

 事務局からの電話で、少しずつ状況がのみ込めた。去年の秋、息子さんは友だちのオートバイに同乗し、東北を旅行した。深夜、居眠り運転のトラックと衝突し、そのまま還らぬ人となってしまったという。言葉が出なかった。ささやかな合格祝いのときの、晴れやかな笑顔。私も自分のこと以上に嬉しかった。

 それ以来、岡村さんは誰の訪問も受け付けなくなったという。分かるような気がした。三年間かけて、私は彼女の人生を理解し、また尊敬の念も持つようになっていた。絶望的な状況から這い上がり、小さな希望の灯をともしながら、それを育ててきた。安堵の生活に入り、肩の重荷を下ろして間もなく、重い闇に覆われてしまったのだ。視界を閉ざされ、行くべき方向を見失い、どれだけ苦痛を感じているのだろうか。

 担当者からは、岡村さんが急に依頼してきて、旧知の私を指名してきたと説明を受けた。どうしても今日来てほしいという希望で、本来は誰かと二人で行くのが規則なのだが、とうとう調整がつかなかったので独りで行ってほしいという。場合が場合だから、例外的に協力してほしいという依頼だった。それは理解できるような気がした。

 いつの間にか、見慣れた低層マンションの下に来ていた。ふと立ち止まり、見上げると窓に人影が見えた。エレベーターがなく、階段を上って三階のドアの前に立った。呼び鈴を押すのがためらわれた。何ていえばいいだろうかと考えていたとき、いきなりドアが開いた。

 「ずいぶん沈んだ表情ですね」
 ドアを開けるなり、岡村さんにそういわれてしまい、言葉を失ってしまった。何もいえない私を招き入れ、彼女は私に椅子を勧めた。久しぶりの居間だったが、何も変わっていない。腰を下ろし無言のまま、半ば習慣的に視線は壁掛けのカレンダーに向けられた。

 空白のないはずのカレンダーは、どの日も空白だった。
 「今年はカレンダーが、ずいぶん静かになったんですよ」
 彼女は私の心中を見透かすようにそういった。私はまだ、どのような慰めの言葉をいっていいのか迷っていた。
 「いいんですよ、何もおっしゃらなくて。息子との合格祝いのときのシーンが、ずっと記憶の中に残っていて、こうしてご無理をお願いしてしまいましたが、おかげで気持ちの整理がつきました」

 言葉少なな会話がしばらく続いた。沈黙の中から、彼女は突然質問した。
 「ところで、今日が何の日かご存知ですか?」
 そんな、急にいわれても。一瞬狼狽してしまった。彼女か息子さんにとって何か重要な日で、それを思い出せないのは大失態だと考えた。苦笑する私に彼女は続けた。
 「呆れた方ですね。ご自分の誕生日も憶えていないなんて」
 その瞬間、私は自分の顔が歪むのが分かった。どういう感情が湧き上がっているのか、支離滅裂なのだが、とにかく不思議な感情が昂じてしまった。恥ずかしながら、涙腺が緩むのを意識した。

 その後、さして意味のある会話もなく、長居してはいけないという思いから、月並みな慰めの言葉を伝えて辞去した。言葉数は少なかったものの、彼女は私の個人的なことを知っているようだった。誰に訊いたのだろうか。

 マンショの階段を下りながら、脳内がすっかり干からびているのを実感した。何が起きたのか、何があったのか、自分のこと、彼女のこと、とうとう焦点が定まらないまま、駅に向かって歩き始めた。
 その時ふと気になり、足を止めて窓を見上げた。人影が見えた。彼女の姿だった。思わず頭を下げ、私は駅に向かって歩き始めた。

 帰り道は、だらだらとした上り坂で、陽射しはまだまだ厳しく照りつけている。脳内では既に、過ぎ去ったことへの回想は姿を消し、難解な高次方程式の解が見出せないときのように、謎めいた短い時間のできごとを反芻していた。
 
 
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by hirune-neko | 2014-07-09 00:10 | 創作への道 | Comments(0)
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妄想から始まり、脳内人格を与えられた不思議な存在

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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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