昼寝ネコの雑記帳

記憶を失う恐怖と闘う人たち


Astor Piazzolla Ave Maria


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記憶を失う恐怖と闘う人たち



ピアソラの「アヴェ・マリア」は、ピアソラにしては珍しく
とても穏やかな曲想だと思っていた。
しかし、彼女の歌唱法はときに熱唱であり、また絶叫だと感じる。

日本人は元来、感情を露わにすることを避ける民族だと思う。
惻隠(そくいん)の心、察する気持ち、などと表現するように、
言葉少なく控え目に表現する相手の心中(しんちゅう)を察し、
それに対し、細やかな、無言の気遣いで応対する。
そのようなやりとりを経て、互いの理解と信頼が醸成される。
これは日本人特有の、ある種の精神文化なのだと思っている。

昨年の春から、福祉団体の助成を受けて開始した
東日本大震災の被害者の皆さんに絵本を寄贈するプロジェクトが
そろそろ終息したかと思っていた。
2ヶ月前から、気仙で生まれた赤ちゃんへの
絵本寄贈プロジェクトを、新規に開始した。
これも昨年同様、福祉団体の助成を受けて実現した。

地元・大船渡の東海新報社が何度も大きく紹介し、
大船渡市役所、陸前高田市役所、住田町役場の協力も得て、
さらに地元の助産師さんのグループも内容を知って
お母さん達への紹介をしてくれるようになった。
なので、反響が大きく、連日ネットやファックス、郵便で
申し込みが送られて来ている。

本来は、2013年に生まれた赤ちゃんが対象なのだが、
去年、あるいは一昨年生まれのお子さんにも作ってほしい
という希望が多く、2012年以前のお子さんには
被災者向け寄贈枠で対応している。

これらの絵本のタイトルはすべて「大切なわが子へ」で、
画や装丁もすべて統一された1種類しかない。
もともとは、産婦人科の院長先生からの
出産祝いプレゼントとして利用されている絵本だ。
両親のもとに生まれる赤ちゃん、シングルマザーのケース、
障がいを持って生まれてくることもあるし、
月満たずに命が尽きることもあり、出産直後に
天使になる場合もある。さらに言えば、
子どもの誕生を楽しみにしていた父親が病死してしまった
ケースも皆無ではない。

絵本の製作現場は至って事務的な作業だ。
原則として、著者名には両親の名前が記され、
本文にはお子さんの名前と、身長・体重、それと
出産した産婦人科病院の名前が挿入される。
なので、指定された事項を間違いなく入力し、
何段階かの校正作業が主要な作業となる。

しかし、天使版や父親が亡くなったケースなどの場合は、
状況を確認して、その状況に合わせた文章に修正する。
心を痛めているご両親や、遺族の方が読まれる文章なので、
いつも皆さんの痛みを感じながら文案を考える。

被災者向けの寄贈絵本は、最初から「親を亡くした子ども」、
「子どもを亡くした親」の心のケアが目的だったので、
当然、文章の内容そのものに集中して作成した。
ところが、8月からの気仙の赤ちゃん向け寄贈絵本と
並行するかのように、被災者向けの「応援版」の
申し込みが急増した。「応援版」は、被災前に出産し
子育てをされているご家庭向けの文章で、
次のような表現が挿入されている。

「■■■■ちゃん 
2011年の3月11日に  東日本大震災という
見たこともない 大きな地震と 津波があったの
たくさんの人が 大きな被害を受けて
つらい苦しみと 悲しみが残りました

でも お父さんとお母さんは どんなに大変な環境でも 
■■■■ちゃんを守って 大切に育てようと 決心しました

家族で励ましあって
しっかり生きていこうと決めたの」


この「応援版」には、子どもの性別はもちろんのこと、
身長や体重、ましてや両親から子どもへの「ひと言」、
さらには津波に襲われたときの状況などを記載する
「製作ライン」など設けていない。
絵本申し込み書にそのような希望が書かれていても
「事務的な作業ライン」から外れてしまう。なので
それらを、無視することも可能な状況ではあった。

何人もの方の欄外メッセージを読むうちに
視野に入っていなかった状況に気づいた。

「思い出や記念の写真が1枚も残っていない」
「子どもの日記も記録もすべて津波に流された」
「家族揃って幸せだった頃を思い出せるものがない」
「思い出が消えてしまいそうな不安がある」

ルーティンワークから外れる作業は、
製作現場にとってみると、流れが中断され、しかも
新たな校正項目が増えるため、負担を強いることになる。
しかし、過去の楽しかった幸せな思い出を
徐々に薄れる薄暗い記憶の中から探し出すのではなく、
写真や文章、あるいはいつでも手に取って読める
絵本の中で目にする方がずっと容易なのだと思う。

過去を流失した人たちにとっては、
いつでも絵本を手に取り、失った過去の良き思い出を
実感できることだけでも、日常生活の
ささやかな安らぎ、平安につながるのだ、
という理解が、静かに拡がるのを感じた。
作業に携わるスタッフにそのことを説明したところ、
全員が納得し、例外希望も取り入れるように努力している。

負担は増えることになるが、絵本を受け取り
手に取った皆さんが、平安な気持ちをたとえ少しでも
取り戻し、家族揃って思いをひとつにしている姿を思い浮かべ
そこから達成感をいただいている。


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by hirune-neko | 2013-10-10 12:36 | 心の中のできごと | Comments(0)
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昼寝ネコのプロフィール
・1951年
 小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。

・1969年 
 中央大学経済学部入学
 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。

・1974年 
 同大学卒業
 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。
     
・2006年 
 現在に至る
 プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。

・2010年 宇宙の旅
 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。

・現在
 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。
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