創作イメージ・La voz que no llegue~届かない声La voz que no llegue ~届かない声~ Yoshihiro Tanabe /エスタモス・アキ ↑クリックして創作意欲を与えてください La voz que no llegue~届かない声 女にはかつて家庭があった。 夫と、小さな息子が一人。 ささいなことからお互いに激高し、 そのまま離別してしまった。 それ以来、女手ひとつで、 なんとか子どもを育てようと昼も夜も働いた。 ろくに化粧もせず、洋服も買わず ただひたすら働いた。 なのに2年も経たないうちに、 男の子は肺炎をこじらせ、あっけなく 他界してしまった。 女にはなんの楽しみもなく、 そのまま、時の流れに抗うこともできず くる日もくる日も、まるで機械仕掛けの 道化人形のように、単調な日々を送っていた。 仕事場へ行くには、朝早く 駅から専用バスに乗らなくてはならなかった。 次第に見知った顔が増えたからといって、 あいさつを交わすわけでもない。 そんなある日、一人の男の横顔に何かを感じた。 毎日、同じバスに乗り合わせていたはずなのだが それまではまったく気付かなかった。 何を感じたのか、自分でも分からなかったが とにかく気になった。 しばらくして、その男が妻子と別れ アパートに独りで住んでいることが分かった。 同僚の年長の女が住むアパートに 数ヶ月前、男が越してきたのだという。 思いがけず近所だった。 土曜日の午後、女の姿をモールで見かけた。 珍しいことに、化粧品を選び、そして 洋服も購入した。 作業着ではなく、華やかな色のドレスだった。 ずっと長い間、駅からのバスに揺られる自分が まるで屠殺場に移送される家畜のようだと感じていた。 何の目標も希望もなく、ただひたすら 屠殺される順番を待つ家畜の心境だった。 週明けのバスの中で、周りの視線が痛かった。 化粧が少し濃すぎたかなと、気になった。 ドレスが少し派手だったかなと気になった。 自分の姿が、男の視界に入るよう願った。 その週には、なんの用事もないのに 同僚の年長の女の部屋を訪ねた。 ちょうど通りかかったと、言い訳をし たびたび訪ねるようになった。 同じ階に住む男の部屋の前を通るたびに 偶然ドアが開いて、男が笑顔で迎えてくれる、 そんな情景を思い描く自分自身に苦笑した。 男の部屋の前に近づくと、女は無意識のうちに ゆっくりと歩くようになっていた。 しかし、男の部屋からはなんの物音も聞こえず ドアは冷たく閉ざされたままだった。 やがて夏が過ぎ、肌寒い秋を迎えた。 女は今日も、同僚の年長の女の部屋に向かった。 男の部屋の前に近づくと、歩みを遅くした。 いつもは寡黙な男の部屋から、かすかに 話し声が聞こえる。女は確かめるように 立ち止まって聞き耳を立てた。 突然ドアが開き、見慣れた男は 見知らぬ女の腰に手を回し、小さな女の子の 手を引きながら、廊下に出てきた。 男の「家族」は、言葉を失って立ち尽くす女を 一瞥し、そのまま歩き去った。 軽快に錯綜する三人の足音を、 女は背中で聞いていた。 その日、同僚の年長の女の部屋で 何を話したか憶えていない。 いつもより早口で、いつもより饒舌だったと それだけは記憶にある。 週明けの月曜日、女は化粧もせず、 作業着姿でバスに乗り込んだ。 車窓を流れる街並みを無意味に目で追い、 乗客と視線が合うのを避けた。 女はいつものように仕事場に行き、 いつものように仕事を終える。 疲れた足を引きずって、 迎えてくれる人のいない 暗く寡黙な部屋のドアを開ける。 以前と同じ単調な繰り返しの生活。 女は、心の中に棲みついた残像が消え 高揚した感情が鎮まるのが待ち遠しかった。 今日と同じ明日を、 何度やり過ごせばいいのだろう。 女は、ドレスを箱に詰めて クローゼットの奥に押しやると ベッドに背中をあずけ、そっと目を閉じた。 *田辺義博さんが作曲した「届かない声」を 何度も聴きながら、思い浮かんだイメージを 文章にしてみました。 La voz que no llegue~届かない声 作曲:田辺義博 演奏:Estamos Aqui〜エスタモス・アキ ↑クリックして創作意欲を与えてください
by hirune-neko
| 2013-08-08 23:36
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・1951年
小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。 ・1969年 中央大学経済学部入学 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。 ・1974年 同大学卒業 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。 ・2006年 現在に至る プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。 ・2010年 宇宙の旅 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。 ・現在 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。 お気に入りブログ
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