迷宮からさらに迷宮へ
Astor Piazzolla & Jorge Luis Borges -- El Tango (1965) con Luis Medina Castro
2012年12月31日から、2013年1月1日にかけて 足かけ2年で、ブログ記事に取り組んでいる。 最近、カルロス・ガルデル教の信者を自称する El Bohemioさん(エル・ボヘミオなのかボエミオなのか スペイン語の素養のない私には、恐ろしくて 迂闊に発音できない)が・・・この名はスペイン語なのだろうが プッチーニやアズナブールの曲にある ラ・ボエームの、いわゆるボヘミアンの方なのだろう。 *ボヘミアン:アーティスト - 芸術家や作家であるか、 世間に背を向けた者などで、伝統や習慣にこだわらない 自由奔放な生活をしている者 私はカルロス・ガルデルについて、名前しか知らないのだが El Bohemioさんは、ご自分のブログで カルロス・ガルデルに関する記事を、すっとアップしている。 その上、ピアソラもお好きだとかで、とても詳しい。 昨日、書き込んでくださったコメントを読むと ピアソラがボルヘスの詩をもとに作曲した作品が あると書かれていた。 以前もホルヘスの名に触れていたため 少し調べたことがある。 作家であり詩人でもあったようだ。 ピアソラと接点のある芸術家を辿って行くと 際限なく拡がっていきそうで、正直にいうと 少し億劫な気がしている。 しかし、それだけ惹き付けられる何かがあるのも事実だ。 かなり以前、私には難解に思える文章だったため 一切読まなかった松岡正剛氏のブログで ボルヘスに関する記述を見つけた。 「オクシモロンという奇妙な修辞法がある。 言葉が互いに矛盾しあう形容性によって 互いに修飾されあう関係になるような修辞法のことをいう。 ボルヘスにとって『形式と手続きと知識と知覚』は オクシモロンのようになっている。このことが了解できれば、 ボルヘスをボルヘスにならないで読むことがたのしくなる。 そのかわり、ボルヘスにならないかわり、 われわれ自身の『形式と手続きと知識と知覚』が オクシモロンのようになる必要がある。 これは、われわれは『ボルヘス』を読むのではなく 『ボルヘスの書物』を読むのだという根本的な トリックを信仰できるかどうかということにかかってる。」 この人の文章は、読めば読むほど分からなくなる。 まあそれはさておき、どうやらボルヘスの作品も 難解なようだ。音楽だと、感性で聴けるが 文章だと、論理性だけでなく、修辞法だの 比喩的表現だのなんのtいわれてしまうと それだけで、頭が疲労を感じてしまう。 そんなわけで、どうやら・・・あっ、年が明けた。 2013年になってしまった。 ここ何年もかけて、自分の人生をなるべく 単純化しようと努めてきたのだが、どうやら 人生や社会というのは、それほど単純ではないようで まあ従前から、錯綜した思考回路のせいで疲労し 昼寝が必要だったのだが、どうやら今年も 昼寝なしで生きるのは難しいかもしれない。 標題の動画の説明はスペイン語なので訳せない。 Google翻訳によれば、以下の意味だそうだ。 とにかく。いつもアホなブログを読みに来てくださる お利口な皆さんに A Happy New Year1 2013・・・だ。 (Google翻訳による説明) 1965年に、アストル·ピアソラと ホルヘ·ルイス·ボルヘスは、"タンゴ"、 ピアソラ五重奏団、エドムンド·リベロと メディナカストロを含むレコードを作成するために 一緒に参加しました。 El tango ¿Dónde estarán? pregunta la elegía de quienes ya no son, como si hubiera una región en que el Ayer, pudiera ser el Hoy, el Aún, y el Todavía. ¿Dónde estarán? (repito) el malevaje que fundó en polvorientos callejones de tierra o en perdidas poblaciones la secta del cuchillo y del coraje? ¿Dónde estarán aquellos que pasaron, dejando a la epopeya un episodio, una fábula al tiempo, y que sin odio, lucro o pasión de amor se acuchillaron? Los busco en su leyenda, en la postrera brasa que, a modo de una vaga rosa, guarda algo de esa chusma valerosa de Los Corrales y de Balvanera. ¿Qué oscuros callejones o qué yermo del otro mundo habitará la dura sombra de aquel que era una sombra oscura, Muraña, ese cuchillo de Palermo? ¿Y ese Iberra fatal (de quien los santos se apiaden) que en un puente de la vía, mató a su hermano, el Ñato, que debía más muertes que él, y así igualo los tantos? Una mitología de puñales lentamente se anula en el olvido; Una canción de gesta se ha perdido entre sórdidas noticias policiales. Hay otra brasa, otra candente rosa de la ceniza que los guarda enteros; ahí están los soberbios cuchilleros y el peso de la daga silenciosa. Aunque la daga hostil o esa otra daga, el tiempo, los perdieron en el fango, hoy, más allá del tiempo y de la aciaga muerte, esos muertos viven en el tango. En la música están, en el cordaje de la terca guitarra trabajosa, que trama en la milonga venturosa la fiesta y la inocencia del coraje. Gira en el hueco la amarilla rueda de caballos y leones, y oigo el eco de esos tangos de Arolas y de Greco que yo he visto bailar en la vereda, en un instante que hoy emerge aislado, sin antes ni después, contra el olvido, y que tiene el sabor de lo perdido, de lo perdido y lo recuperado. En los acordes hay antiguas cosas: el otro patio y la entrevista parra. (Detrás de las paredes recelosas el Sur guarda un puñal y una guitarra.) Esa ráfaga, el tango, esa diablura, los atareados años desafía; hecho de polvo y tiempo, el hombre dura menos que la liviana melodía, que solo es tiempo. El Tango crea un turbio pasado irreal que de algún modo es cierto, el recuerdo imposible de haber muerto peleando, en una esquina del suburbio. Del libro: El otro, el mismo de JORGE LUIS BORGES
by hirune-neko
| 2013-01-01 00:21
| 心の中のできごと
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Comments(12)
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El bohemio
at 2013-01-09 23:02
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昼寝ネコさん:カルロス・クーリのデータからボルヘスとピアソラ合作曲を探したら3曲ほど出てきました。しかしこのデータは20年も前の物ですから完璧ではありません。
アルゼンチン・ポリドールから発売されたボルヘスの詩にピアソラが曲を付けた“エル・タンゴ”以外に彼等の合作が1974年に3曲録音されていた。 1:(Poema) 1964:(a) Amerita Baltarの歌(コリセオ劇場のコンサート) Ney Matogrosoが1984年にピアソラ伴奏で録音したらしい。 詩の内容はwww.poema-del-alma.com/1964.htmを参照下さい。 2;Milonga de Manuel Flores; Amerita Baltarの歌(Teatro Coliceo) 1974年か75年にSusana Rinaldiがトロイロの演奏で歌う。(youtubeで見られます) 1975年:Buenos Aires(búsqueda/捜索)この曲については録音、演奏のデータ不明です。
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hirune-neko at 2013-01-10 11:55
El bohemioさん
いろいろ教えていただき、有難うございます。 でも、レコードしかなかった時代と較べると YouTubeを通じて、かなり広範囲の演奏を 鑑賞できるようになり、SF小説のようです。 上記で教えてくださった曲は、改めて調べてみます。 いつも有難うございます。
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El bohemio
at 2013-01-15 06:11
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エル・タンゴは長い詩ですね。
少しだけ翻訳してみました。 指摘能力不足のため旨くいきません。 少しだけでもパレルモの暗黒世界に 入れ込めれば、、、 El El tango/タンゴ(1) ¿Dónde estarán? pregunta la elegía/ 彼はどいるのだろう?その哀歌に俺は問う de quienes ya no son, como si hubiera/ もし捕らえるとしたら、もう存在しないおまえは何者だ una región en que el Ayer, pudiera/ 可能だったら、これが遥かの日での空域 ser el Hoy, el Aún, y el Todavía./ その今の存在、さらに、そして、それでも ¿Dónde estarán? (repito) el malevaje/ どこにいるのだろう?(繰り返し)あのヤクザ野郎は que fundó en polvorientos callejones/ ほこりまみれの狭き通りのそこに没落した de tierra o en perdidas poblaciones/ 地べたか、人ごみに見失ったか la secta del cuchillo y del coraje?/ 彼の勇気と匕首ナイフの異端 ¿Dónde estarán aquellos que pasaron,/ あそこを通り去った野朗共はどこに居るのだろう、 dejando a la epopeya un episodio,/ 一つの挿話的な叙事詩を残して、
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hirune-neko at 2013-01-15 14:16
El bohemioさん
翻訳を有難うございます。 雰囲気が、オラシオ・フェレールの作品に 似た印象を受けます。 スペイン語圏であっても、国によって国民性が異なるように 感性も独特なのでしょうか。 これまで、アルゼンチンの方、南米・中米の「人間」に 知り合いがいませんので、創造の域を出ません。 ちょうど、昔ハリウッド映画を観て アメリカ人を想像したような感じですね。 国籍はどこであれ、書面による契約書なしでも 仕事ができるような人間関係が理想ですね。
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El bohemio
at 2013-01-19 09:00
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昼寝ネコさん
ボルヘスの詩はフェレールの詩に良く雰囲気が似ているとの事ですが、 彼等二人の共通点はいずれもブエノスアイレスの巷に登場する人物や 情景をテーマにしていますね。 そして、その詩にピアソラが音楽を添えて同じ時期にエル・タンゴと マリア・デ・ブエノスアイレスを作品としてレコード化しました。しかし、 同じこの街をテーマとした詩ですが、ボルヘスは過去、フェレールは 現代と詩の舞台は時間的にずれています。 また前者は普通の言葉使いで後者はルンフアルド(隠語?)を多様 しています。だから微妙なニィアンスの違いが感じられると思います。 ともあれ、いずれの詩人の作品は脳髄に浸み込むほどのインパクト をうけます。
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hirune-neko at 2013-01-19 13:49
El bohemioさん
彼らの作品は全く読んでいませんが 解説していただいて、雰囲気の違いが 少し分かったように思います。 残念ながら、言語で鑑賞できませんが ルンファルドが隠語だとすると、単に 語学力だけでは理解し得ない奥深さがあるのでしょうね。 いつも、新しい世界の入り口を示してくださり 有難うございます。
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El bohemio
at 2013-01-19 23:09
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昼寝ネコ様
貴ブログのコメント覧に多く書き込み過ぎるのをお許し下さい。 ルンフアルドについて言い出したままでは余りにも失礼と思い 追記しました。そこでグーグル探索で“ルンフアルド”を書き込み ますといろいろな説明が出てきます。 Wikipedia 、ゴタンの中庭さん、タンゴ徒然さんと多数のブログ があります。自己宣伝になりますが小生も自分のブログに、この テーマを載せていましたので参考にして下さい。 タイトルは“El Bohemioのタンゴ、ルンフアルドなど、”で 2010年2月2日投稿したものです。URL:http://gotanbohemio.blogspot.com/2010/02/blog-post.htmlよりA編~と数回に亘り説明してあります。 ではよろしく、
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hirune-neko at 2013-01-20 19:45
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El bohemio
at 2013-01-21 22:44
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昼寝ネコさん
ルンフアルドは普通の言葉と同じ様に数が多くとても記憶するのは不可能です。ピアソラもこの言葉を駆使していましたし、フェレールの詩はこの独特な世界に釣り込まれてしまいます。マリア・デ・ブエノスアイレスがその世界ですね。
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hirune-neko at 2013-01-21 23:23
El bohemio
なるほど。 教えていただいた「El Bohemioのタンゴ、ルンフアルドなど」を 見に行きましたが、膨大な作業でしたね。 貴重な資料なので、すべてコピーして保管しました。 今日もタンゴ・モノローグについて考えていて とりあえず、オラシオ・フェレールの世界は真似ようと思っても まったく無理ですし、私の体質からは出てこない世界ですので 私らしい短編を、後刻アップしてみます。 春頃に、持ち寄りコンサートがありますので 実験的に上演して収録し、できが悪くなければ You Tubeにアップして、ご批評をいただこうかと またまたアホなことを考えています。 ピアソラも、さぞかし嘆いていることと思います。
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El bohemio
at 2013-01-22 00:33
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hirune-neko at 2013-01-22 00:55
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・1951年
小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。 ・1969年 中央大学経済学部入学 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。 ・1974年 同大学卒業 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。 ・2006年 現在に至る プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。 ・2010年 宇宙の旅 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。 ・現在 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。 お気に入りブログ
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