ようやく、創作意欲が甦りつつある
Oblivion - Piazzolla/JCO & Cathie Travers
ピアソラ作曲の「Oblivion」を、ずいぶんいろいろな 演奏家で聴いたけれど、このCathie Traversが演奏する ・・・バンドネオンではなく、アコーディオンだけれど・・・ 「Oblivion」の解釈が一番いいなと、結局はそう思うに至った。 大船渡と陸前高田は、岩手県なので南部藩だった、 という先入観があったけれど、 地元の図書館司書の方と話したときに 「いいえ、伊達藩でした」と、きっぱり言われた。 この地方の言葉は「気仙(けせん)語」だという。 一年前に書きかけた舞台脚本では、 非業の死を選択した女性の出身を、なんとなく 漠然と、仙台周辺で考えていた。 江戸城築城の時期に、伊達政宗公が 多くの家臣を江戸に住まわせて 城の落成に貢献したと読んだことがあり、 なので、その女性を伊達公の家臣の娘、と設定していた。 先日、生まれて初めて大船渡に行き 高台にある新聞社の駐車場から 遙か彼方の海岸線を見渡した。 鮮烈な印象だった。 さらに、女川の入り組んだ湾の景観も 何かを語りかけてくるのを感じた。 ずっとイメージしている悲話のヒロインは おそらく江戸の時代に実在し、陸前高田の出身であり、 実際に非業の死を選択したのではないか。 その女性の絶ちがたい無念さが 不思議な方法で私を気仙の海までたぐり寄せ、 言葉にならない言葉で、心の想いを伝えたがっている、 そう思わざるを得ない一連の出来事だった。 黄泉の国から下界を見下ろしている まだ見ぬその女性の残像を、必死に追い求めている私は、 おそろしく滑稽な存在に違いない。 舞う女性と語る婆や・・・そして 振り付け家とも、不思議な縁で出会うことができた。 これも、黄泉の国のその女性からの働きかけかもしれない。 何よりも、ピアソラの曲が離れがたく 常に日常生活にまとわりついている。 結局は、無念にも海に沈んでいった 数多の魂を鎮め、残された方々の心の 喪失感と欠落感を癒やす作品となるべく 知らず知らずのうちに、私自身が 死せる人々からの心からの想いを聴いているのだと感じる。 いつの日になるか分からないけれど 公演初日のその日が、今から楽しみである。
by hirune-neko
| 2012-06-08 21:35
| 創作への道
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Comments(6)
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Pu-cha
at 2012-06-09 15:21
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昼寝ネコさん、こんにちは。
このオブリヴィンは又良いですね。 台本はかなり出来上がっているのではないかとお見受けいたします。^^ ようやく私も被災地のひとつ、石巻を訪れる機会を得られそうです。 野次馬ではなく、何かちょっとでも「共感」できればと思います。
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ayrton_7 at 2012-06-09 15:34
こころに染んでくるような調べ、女性の面影が浮かびあがってくるようです。
僕のブログにも紹介させて頂きますね。
哀愁の曲ですね、寂しく成ります。制作意欲素晴らしいどんどん書いてください。
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hirune-neko at 2012-06-09 17:57
Pu-chaさん
いいでしょう? おそらく100種類ぐらいのOblivionを聴いたと思いますが 彼女の演奏が一番好きなんです。 台本が問題なんですね。 イメージがつながってしまえば一気にかけるんですが、 今はまだ、最初と最後と途中のいくつかなんです。 でもまあ、書き始めたらなんとかなるでしょうけど。 期待してください。 泣かせる作品になりますので。
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hirune-neko at 2012-06-09 18:00
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hirune-neko at 2012-06-09 18:01
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・1951年
小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。 ・1969年 中央大学経済学部入学 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。 ・1974年 同大学卒業 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。 ・2006年 現在に至る プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。 ・2010年 宇宙の旅 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。 ・現在 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。 お気に入りブログ
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