藤沢周平記念館
UNDERCURRENT, Romain [1962]
Bill Evans(p) Jim Hall(g) 藤沢周平が山形県の出身であることは知っていた。 秋田県と山形県に行く予定があり、せっかくなので 藤沢周平記念館とやらに行ってみようと考えている。 調べたら、鶴岡市にあるらしい。 秋田県の大館に入り、そこからレンタカーで鹿角へ。 秋田へ行ってレンタカーを乗り捨てると、 次の目的地は、山形の鶴岡と決めていたので どうやら一泊余分に滞在し、記念館に行けそうだ。 できれば、「蟬しぐれ」の舞台とおぼしき場所も 探してみたい気もする。 一年半ほど前に、久しぶりに津軽の金木を訪ねた。 偶然見つけた「津島家別邸」での、ある種の不思議な対話と、 次いで踏み入れた「斜陽館」での、ある種の意外な落胆。 地元新聞社の女性記者の言葉が、今もなお痛快に思い出される。 「太宰は地元の人間には、全然人気ないですよ」 東北では、唯一、山形県に足を踏み入れたことがない。 山深くにある、豊かな水量のゆったりと流れる河。 「蟬しぐれ」のいくつかのシーンを、脳内で覚醒させたい。 藤沢周平が目にしたであろう景観を、私も目にし 何かの痕跡を感じ取れればいいなと願っている。 藤沢周平の視点が、どこをから生まれたのか、 何を考えていたのか、それを感じ取りたい。 YouTubeで、藤沢作品の動画を探したが 思ったものがなかった。 なぜかイメージがニューヨークのマンハッタンに飛び、 ジャズコーラスグループのマンハッタン・トランスファー、 次いで、Skating in Central Park、MJQの演奏から ビル・エヴァンスとジム・ホールの共演、そして結局は Under Currentというアルバムに収録されている その曲ではなく、このRomainを、懐かしく聴いている。 なんと、驚くことに、ちょうど半世紀前の演奏だ。 夕刻、久しぶりに室蘭民報の女性記者と電話で話した。 確か、高校の後輩だといって紹介された記憶がある。 数度、メールのやりとりをした結果、娘と同年齢だと分かった。 まことに不思議な心境だ。 でも、以前取材してくれた女性なので、 まるで旧知の間柄のような、ぞんざいな口調で話してしまった。 今回の出張で15新聞社の取材を受けたが、 改めて、地方新聞社の存在理由というものが 多少は理解できたような気がする。 その土地に連綿と伝わる、地域性というDNA。 ひと昔前と違って、ネットの普及は 情報伝達の壁を崩してしまったし、地方都市に 堂々と姿を現したショッピングモールも、 数十年前の、アメリカ地方都市のモールのコピーとしか見えない。 欧州の金融危機以上に、はるかに深刻といわれている 中国のバブル崩壊も、カウントダウン状態だという専門家がいる。 東日本大震災のような、目に見える大きな被害と、 時間差を伴って表面化する、修復しがたい心の傷跡。 現在の日常生活から追いやられ、辺境の地に疎開することを 強いられたら、何を持っていくだろうか。 同様に、持てるもの全てをもぎ取られたとき、 より頼める「何か」を持っているだろうか。 個人的には、このたびの東日本大震災は、何かの序章であり この先のストーリー展開を予知して、それに備えるべき 動物的勘を覚醒させようとする、警告という名の配剤だった、 とすら思える。 しかし、私は依然としてマイペースであり、 ちょうど、北極星に向かって航路を維持し続ける帆船のように ゆっくりとゆっくりと、前進することのみを考えている。 とても小さな帆船だが、眠っている間にも 何頭かのイルカに後押しされて、静かに航路を維持したい。
by hirune-neko
| 2012-06-04 22:30
| 創作への道
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・1951年
小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。 ・1969年 中央大学経済学部入学 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。 ・1974年 同大学卒業 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。 ・2006年 現在に至る プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。 ・2010年 宇宙の旅 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。 ・現在 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。 お気に入りブログ
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