生と死の交差する時間
Gabriel Fauré - "Requiem" Introit Kyrie I
知人女性が旅立った。 正確には知人の知人であり、 紹介されて、たった一度だけ、挨拶しただけの方だ。 訃報の連絡があり、できれば参列して欲しいという。 親戚、友人、同僚のいずれでもなく、 考えてみたらどのカテゴリーにも入らない いわゆる完全に「希薄」な関係だったのだが 妙に静かな印象が残っており、気にかかったので 仕事を中断して、最後のお別れに伺うことにした。 葬祭場に着くまでずっと、仏式だとばかり思っていた。 道に迷ってしまい、遅れてエレベータで3階に上がると 白い法衣をまとった牧師さんの説教が始まっていた。 生まれて初めて、プロテスタント教会の お通夜・・・式次第には、前夜式と書かれていた。 故人は享年82歳の女性なのだが、 経歴も何も知らず、家庭環境も知らない。 献花を終えて、式後に、涙を流している女性に 挨拶をして弔意を述べたところ、 「私は知人で、ご遺族はあちらの方です」 といわれてしまったほどだ。 その瞬間、不謹慎にも、ある映画のシーンが甦った。 ポール・ニューマンが、落ちぶれた 飲んだくれの弁護士を演じる「評決」。 フランク・ギャルビン・・・役名まで 鮮明に思い出してしまった。 新聞で葬式の案内広告を調べ、参列する。 式後に遺族に対し「故人とは親しい関係でした」と でまかせを言って、相続分割協議書作成の仕事にありつく。 そんなペテン師まがいの仕事をしている、 冒頭シーンを思い出したのだ。 やや自嘲気味に、そのときの自分の立場と重なったのだろう。 その前夜式は、牧師さんの説教と賛美歌で構成されていた。 改めて、生と死について考える機会になった。 長髪の牧師さんは、聖書の「詩篇」から引用したが 内容は、いたって水彩画のような印象であり フランク・ギャルビンもどきの私の心には届かなかった。 死後の世界は、宗教とは切り離せない要素だろう。 なぜ、異なる解釈が混在するのか、不思議で仕方がない。 人間が作った宗教ならそれもありだろうが 実際に人間を超越した創造主が存在するのなら なぜ、あれこれ異なる教えが並立するのだろうか。 どれかは正しいけれど、他は偽だというのなら まだ理解できるのだが。だが、本来的に宗教マターは 頭で理解するものだとは思っていない。 参列者の表情を観察しながら、私には 本当に宗教心があるのだろうかと、 ふと自己疑念にかられて自問した。 人間を尊敬することはあっても、 決して生身の人間には傾倒、心酔しないのが 自分の体質だと、はっきり認識している。 どんなに著名であっても、社会的地位が高くても、 おそろしく巨万の富を築いている資産家であっても、 それだけでは、私にとっては、なんの意味もないことだ。 ・・・それぐらいしか、自分の取り柄がないのも事実で、 かと言って決して虚勢を張っているわけではない。 ひょっとしたら、自分は世俗を超越して かなり、宗教心があるのではないかと 思うことが多いのもまた驚きだ。 それだけ、葛藤が多く、自己嫌悪の感情が強いのだろう。 逃げ場もなく、隠れる場所もなく、救いようのない 本当に哀れな老人にとっては、もしかしたら もう宗教しか残されていないのかもしれない。 じゃあやっぱり、時々考えていたように 自分で教会を設立してしまおうか。 名前だけは決まっていて 「迷える子ネコの教会」・・・ときたもんだ。 なかなかいいネーミングだと、自画自賛している。 でもまあこんな調子だと、信者はゼロだろうな。 納棺され、死に化粧を施された故人には 心を込めてお別れの挨拶をしてきた。 これだけは、紛れもない事実である。
by hirune-neko
| 2012-02-15 00:31
| 心の中のできごと
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・1951年
小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。 ・1969年 中央大学経済学部入学 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。 ・1974年 同大学卒業 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。 ・2006年 現在に至る プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。 ・2010年 宇宙の旅 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。 ・現在 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。 お気に入りブログ
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