続・ボクのご主人様はプロフェッサー
*この作品は、現在、論文と格闘している最中の
メタセコイアさんに謹呈させていただきます。 数日前のメールで、2008年の6月に書いた短編 「ボクのご主人様はプロフェッサー」が面白かったので 続編を読みたいとのリクエストをいただきました。 思いつきの展開を、数行でお送りしたのですが、 なんとなく、この気難しいプロフェッサーご主人様の 行く末が気になり、ちゃんとストーリーにしなくっちゃ、 と考えた次第です。作った私自身が、もうすっかり 忘れていた内容ですので、まず、3年前の正編をお読みになり それから、この続編をお読みいただいた方が より味わい深い・・・というか、このプロフェッサーに対する 憐憫の情が湧くのではないかと思っています。 メタセコイアさんによれば、拙著「昼寝ネコの雑記帳」を 発刊後間もなく、大学の生協で目に留め、買ってくださったそうです。 それ以来、ずっとこのブログを訪問してくださっている 非常に奇特な方なんです。大事な「読者」さんなんです。 メタセコイアさんが独身か既婚か知りませんが もし独身ならば、このプロフェッサーの轍を踏まず、 これと思った女性には、思い切って想いを伝えてくださいね。 *まず「ボクのご主人様はプロフェッサー」正編をお読みください。 (画 カトリ〜ヌ・笠井作) 早いもので、あれから3年の歳月が流れてしまいました。 また一人きりの世界に戻ってしまい、 それでなくても無口だったのに、ご主人様は 私に対しても、あまり話しかけなくなってしまったんです。 あの女学生が卒業した年の秋に、 「シンデレラ・プリンセス」が話題になりました。 和風に訳すと、「玉の輿」ですね。品のない表現だけど。 マスコミが取り上げたのは、社長秘書として採用された 新卒の女子大生が、すっかり社長に気に入られ 跡取り息子と結婚したという話題なのです。 なにせ、IT企業の草分けで、あっという間に上場し 株の時価評価額が、電鉄会社を上回るとか・・・ 難しい話はともかく、まさにプリンセスの輝きでした。 普段、週刊誌はおろかテレビも観ないご主人様でしたが 大学の学内新聞で、それがあの女子大生だと知りました。 表情がますます暗くなったのは、いうまでもありません。 でもまあ、なんとか授業はこなしていました。 クリスマスが終わり、お正月を迎えましたが ご主人様にとっては、世の中のスケジュールは まったく視野に入っていませんでした。 クリスマスからお正月の三が日まで、 毎日、ケンタッキー・フライドチキン、という ・・・食欲も味覚もどこかにいってしまい、要するに 無感覚人間になったのでしょうね。 梅の花が咲いた頃、ご主人様はやっと言葉を口にしました。 「もう桜が咲いたのか」ですって。 やれやれです。でもまあ、「バラが咲いたのか」 といわなかっただけ、まだましですけどね。 ご主人様にしてはめずらしく、「海が見たい」と 私も一緒に連れて行ってくれました。 ああ見えても、割と運転は上手なんですよ。 都心を抜けて第三京浜に入り、横横道路を走りました。 逗子の高台に、大きな邸宅が数十軒も並んでいる一角があります。 入り口には警備室があって、無断立ち入り禁止なんですけど 平然とした顔で通り過ぎるのがコツのようで 無事に敷地に車を乗り入れました。 まるで「逗子のベル・エア」とでも表現したいぐらいの 開放感溢れる、セレブな住宅街なんです。 ご主人様は、ここを散策するのがとても気に入ってるんです。 人とすれ違うことは、まずありません。 ですから、怪しまれる心配もない・・・ と思っていたら、うわっ、まずいや。 数軒先の邸宅から、数人の人が出てきました。 ここでUターンしたら不自然だしね。 顔を背けてやり過ごそうとしたんです。 「先生?」 一人の女性が声をかけました。 ご主人様は、一瞬、戸惑いましたが その声の主が、あの女子学生だと分かると さらに困惑してしまいました。 言葉が出ないんです。 こんな偶然ってあるものなんですね。 その日以来、彼女はご主人様に 電話をかけてくるようになったんです。 どんな経緯でかって? そういうことは細かく追求しないでほしいんです。 さて、その後のことを簡単に説明しましょう。 そのとき、彼女は離婚を決意しており 数ヶ月後には正式に離婚したんです。 しばらくはマスコミの目も避けて 静かに過ごしたいと、北海道に行き 洞爺湖を見下ろすホテルに滞在しました。 ご主人様と彼女は、かなり頻繁に 電話やメールで連絡を取り合うようになりました。 一体どんな会話だったかって? ご主人様がアイーダがどうとか、 トスカがどうとか、あるいはスタンダールがどうとか そんな気の利いたことをいえればいいのですが 大まじめに「活断層がどうのこうので 日本の全国的な地震発生のメカニズムはどうの・・・」 まあ、ざっとこんな調子で、彼女にはかつての 講義の延長みたいだという 印象だったのではないでしょうか。 でもね、二人は急速に親しくなり お互いに必要とするようになったんですよ。 もし彼女に離婚経験がなければ おそらく、ご主人様を恋愛の対象とは 考えなかったと思います。 人生って、本当に分からないものですね。 さて、もうそろそろ出かける時間になりました。 これから私は、ご主人様と一緒に 横浜・山手の外人墓地に行くんです。 ご主人様としては、プロポーズは 人生で初めての経験でした。 30歳以上の年齢差でしたが、 彼女もご主人様の良さを理解し、 北欧のどこかで、二人だけで結婚式を、 という話題になりました。 あんなに饒舌なご主人様を見たことはありません。 私に難しい本を読むよう強いることもなくなりました。 でも、人生って、本当に不可思議なメカニズムだと思います。 ある日、体調を崩した彼女は、念のためにという軽い気持ちで 病院で検査を受けたのですが、 なんと、血液の厄介な病気であることが分かりました。 あっけなく、本当にあっという間に 還らぬ人となってしまったのです。 あの頃のことは あまり克明に説明したくはありません。 ご主人様は、元の寡黙な生活に戻りました。 でも、無言のまま、何かを必死に支えようと 苦しんでいるのが、手に取るように分かりました。 赤いバラの花束を抱え、墓石を探しました。 なぜ外人墓地なんだろう? 私にはその理由が分かりませんでした。 ご主人様は、そっと花束を置くと 頭を下げて、小さな声でいいました。 「有難う・・・」 それ以上は言葉にならず、 両肩がかすかに震えていました。 ご主人様に静かな日常生活が戻りました。 ただひとつ、違ったことがあります。 以前のように、オペラは聴かなくなりました。 今では、もっぱらダイアナ・クロールを聴いています。 おそらく、ご主人様の内面に なんらかの変化があったのだろうと想像しています。 ようやく私にも話しかけてくるようになりました。 相変わらず、私が人間の言葉を理解することが分からずに 思ったままを伝えてくるのです。 そうなんですよ。 ただじっと、だまって聴いてあげることこそが カウンセラーの一番大切な役割なんですよ。 お読みくださり、有難うございました。 では完結編にお進みください。 ・完結編「ボクのご主人様はプロフェッサー」 2012.10.18
by hirune-neko
| 2011-11-29 01:19
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Comments(6)
3年前昼ネコさんを知りませませんでした。
小説を書く事、そして其れが世間に認められる事。 難しいですね、 私は昼寝ネコさんの書く文章から 学ぶ事が沢山有ります。 此れからも沢山の心を暖める文書を書いてください。
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hirune-neko at 2011-11-29 12:10
shi,shiさん
有難うございます。 いつもお読みいただいて、それが励みです。 別に世間が認めてくれなくてもいいんです。 ただ、印税が毎月、かなりの額で 銀行口座に振り込まれてくれば それで満足なんです。(苦笑)
本当に、素敵な物語です。
昼寝ネコさんの文章を読んでいると、「いいなー、あたしもなんか書いてみたいなー。」と思ってしまいます。
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hirune-neko at 2011-12-19 02:10
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ドラ母
at 2011-12-19 07:34
x
あはは。「末はプロかプータローか?」という題名で、母の愚痴満載の。(^^;
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hirune-neko at 2011-12-20 10:56
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・1951年
小さいころ、雨ざらしで目ヤニだらけの捨てネコを拾ってきては、親から小言をいわれる。小学校低学年の音楽と図工は通信簿が「2」。中学からバスケを始めるも、高校2年で部活を止め、ジャズ喫茶通いが日課となる。授業が退屈でがまんできず、短編小説を書いては授業中のクラスで強制的に回覧させ、同級生の晩学を妨げることしばしば。早く卒業してほしいと、とくに物理の先生が嘆いていたようだ。ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンに心酔。受験勉強をすっかり怠り、頭の中は浸水状態。 ・1969年 中央大学経済学部入学 まぐれで合格するも、東大安田闘争・70年安保闘争などの影響で神田界隈はマヒ状態。連日機動隊がやってきて大学はロックアウト・封鎖の繰り返し。すっかり希望を失い、大いなる時間の浪費が始まる。記憶に残っているのは、ジャズを聴いたこと、大学ノートに何やら書きなぐったこと、ぼーっと考えごとをすること。数限りなく、雑多なアルバイトをやったこと。一応は無難にこなした・・・はずだ。いろいろ本を買いあさったが「積ん読状態」で、ただ、アルベール・カミュの作品には衝撃を受ける。それと、寮生活だったので、嫌いだった納豆を食べられるようになったのは、収穫だった。 ・1974年 同大学卒業 1年留年し、5年かけてなんとか卒業。理由は単位を落としたからだが、結局5年間の学生生活で授業に出席したのは、おそらく数十日ではなかったろうか。毎回レポート試験で単位をいただいたが、ほとんどは寮生仲間に「餃子ライス」を報酬に、作成を代行してもらった。今さら卒業証書を返還せよといわれても、もう時効だろう。白門同窓生の恥部であることは、重々自覚している。 ・2006年 現在に至る プロポーズしたら1週間待ってくれという。そんなに待てないといったら、翌日ハート型のケーキを焼いて待っていてくれた。世の中には奇特な女性がいるものだ。おまけに4人も子どもを産み育ててくれて・・・育児放棄の夫に寛大な女性で・・・おまけに子どもたちは・・・三人の息子と息子のような娘が一人なのだが・・・父親を反面教師として、なんとか実社会に順応している。大したものだ。わが家には、「親の七光り」など存在せず、「子の七光り」で恩恵をいただいているようなものだ。 ・2010年 宇宙の旅 人生も、それなりに辛抱して生きていれば、悪いことばかりではないなと思っている。2010年には、どこで何をしていることやら。宇宙のチリになっているのか、地中に埋もれているのか、はたまた相変わらず時間を見つけては昼寝三昧なのか、こればかりは全く予測がつかない。 ・現在 このブログを始めた頃、2010年なんてずっと未来の存在だった。でも、気がついてみたら2010年はすでに過去のできごとになってしまった。2013年になり、もうじき2014年になろうとしているこの時期に、改めてブログに書き残された何編もの雑文が、自分の心の軌跡という遺産になっていることを感じている。6年前に「昼寝ネコの雑記帳」という単行本を出版した。最近は「続・昼寝ネコの雑記帳~創作短編集」を発刊しようと、密かに機会を窺っている。 お気に入りブログ
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